スピード界になぐりこんだトヨタ
週刊現代 1965年12月2日号より
スピード界になぐりこんだトヨタ・日産に離縁されスネたヤマハを拾いあげ

第12回自動車ショーにも登場したトヨタ2000GTが、近く茨城県・谷田部の自動車高速試験場でスピード世界記録に挑戦する。これは同時に、ライバルの日産−プリンス勢へのはたし状でもあるというので、関心は異常なまでに高まった。
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トヨタ・ヤマハ連合軍対日産・プリンス勢の対決は、来年の自動車業界最大の話題となることだろう。

2000GTといえば、当時憧れの自動車。実物をみることもなく、高校時代を過ごしましたが、ボンドカーでもあり、そのスタイルの良さに憧れる方も多かったのだろうと思います。
もともとヤマハは日産と親密であったけれど、日産がプリンスと合併ということで、スポーツカーの技術はプリンスからいただけるということで、ヤマハが切り捨てられたのかも(?)・・そういうことらしい。(そのプリンスはR380を開発していた)
そこで、トヨタは日産から飛び出たヤマハを自陣に取り込み、スポーツ車の開発にはエンジンのさらなる改良が急務ということで、エンジンのチューンナップをヤマハが担ったということだ。
いずれにしろ、トヨタ2000GT良かったです。

トヨタ2000GT

(注)青い文字は、週刊誌の記事を転載しています。