(注・当時実際は大阪万博なのに日本万国博覧会といって、大阪を付けるのを嫌がられたようですね。(このへんはしったかぶりで、本当かどうか全くわからないのですが、いまごろ対比で大阪万博といっていますね。海洋博とかいろいろあったのにです。そして何故にここに来て愛知万博???? 筋をとおすなら日本万国博覧会なのでしょうに・・本当かな???) ところが、このごろ(2009年頃)は、マスコミが書く記事には、大阪万博の文字がよく躍っています。しかしながら私が思うに、大阪では日本万国博は開催されましたが、大阪万国博は開かれていないですよ。いつ開かれたのですか? と、なるわけです。 |
この画像は、当時の入場チケット入れということです。値段が800円でした。
また、未使用のチケットはこちらです。入場券のタトウの裏側は、こんな感じです。 |
おきまりの、記念乗車券も購入していました。うーん、使わないで残していた。 |
いろいろ古いケースを探していたら、ついに私が撮った万博の写真が出てきました。これは、懐かしい。懐かしすぎます。愛知万博は行くかどうか分かりませんが、35年前にかえって、ちょっと万博を見てみましょう。 この写真は、動く歩道と三井グループ、東芝IHI館が写っています。かすかにアメリカ館も屋根が写っています。これは、手元にある、案内図から推測で言っています。日記は付けていませんでしたので・・・ 会場地図です当時の雑誌からです。 |
伝説の、あの暑い暑い9月の一日(83万人入場者)も遠い昔となりましたが、実は私は軟弱で20万人ぐらいまでの日しかいったことがありません。写真でも分かりますようにがらがらです。おそらく20万人以下だったと思います。そうです、愛知博とはちがって十万二十万といえば、ガラガラだったのです。 万博後半の当時の混雑ぶりはひどいものでした。 |
2003年に久しぶりに万博公園にいって撮ったのですが、当時撮した写真のバックに写っていたあの噴水だと思います・・・? そして、こちらは、2003年の太陽の塔です。さみしくさみしく一人で立っているように思えました。 |
人気あるパビリオンに入ったのか、それとも写真だけをとったのかそれすら覚えていないのです。35年の年月は、整理も出来ないくらい古いようです。日記つけておけばよかった。 |
今の万博公園内を歩いていると、もうなにも残っていない空間の木立の足下に、記念碑があらわれます。ドイツ館です。そして、歩くとあの栄華を誇ったアメリカ館です。パビリオンの記念碑は多いのだと思いますが全てを見つけようという気にはなれませんでした。 うーん、あの70年のときコンパニオンさんが夕方空いていますと呼び込んでいたのをおぼえている。それがあの、混雑になっていくとは・・・・(地図を参照して下さい) |
ちょっと空いているように見えますが、パビリオンの周りには人がいますね。それでもやっぱり空いているか。写真を撮るには、非常によかったのでしょうね。これらの白黒写真はすべてハーフサイズのカメラ(オリンパスペンFT)で写しています。当時はハーフでないとフィルムが高かったので、枚数撮れなかったです。 最近(2007-10)古本市で、万博をカラーで撮ったアルバムが売っているのを見つけました。当時、行かれた方の写真集のようですが、100カット以上あり、カラーですので私の撮ったものよりずっといいものですので、少しずつアップしていきたいと思います。 当時、カラーで撮れるというのかなり資金に潤沢な方でかつ、家族、知人を写さずにパビリオンを主体に写すという(余裕の写し方)ことを実行されていて本当に資料として十分なものだと思います。残してくださって本当にありがとうございます。 |