日本航空 桑港線・沖縄線(1954年) |
なごやかに自社の応接室の雰囲気を機内に再現という感じの広告ですが、もちろんこのころ、桑港まで飛行機といえば、年収でも足らないくらいの料金であったと思います。 航空運賃が書かれていないのも、その吃驚する料金だからであろうと推測されます。 「なごやかな気分で アメリカまで一飛び」 プロペラ機の時代ですからどれくらい時間がかかったのでしょうか。20時間?一飛びというような時間ではなかったと・・・・ そして残念ながらこの頃の沖縄線は「アメリカまで」の国際線扱いであったのでしょう。 2012-12-28記 |