平成の懐かしい事各年一覧へ
1995年(平成07年)の出来事について

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週刊プレイボーイ 1995年7月18日号より
ざけんな! フランス核実験

この年、えーフランスが太平洋で核実験と、非常に話題になりました。私も、海外のおみやげにはフランス製の化粧品類はご辞退申し上げたこともありました。フランス製品ボイコットというわけです。
緊急特集
弱腰の政府に代わって、こうなりゃ仏製品不買運動だ!
「日本人はアリみたい」と言ったフランスの政治家がいたが、あの頃のフランスはまだよかった。新大統領にシラクさんが就任し、公約である「核実験の再開」を実行しようとしているのだから大変。そりゃもう世界中が大騒ぎしているのに、日本人はちょっとおとなしいぞ。
・・・・
シラク大統領が、その意志を表明したのは6月13日のこと。92年4月以来、ずっと中止していた核実験を、これから8回も行うというのだ。
・・・・
ムルロア環礁がないてるぞ
フランスが核実験を計画しているのはタヒチから北に1200キロ、仏領ポリネシアにあるムルロア環礁というところ。要するにフランス本土でなく植民地で核実験をやるってことだ。
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ここはひとつ、草の根レベルからシラク大統領の核実験再開の決定に”ノン”を突きつけようではないか。フランスの文化や芸術は”ウイ”なんだからさ。
記事は、各国のそれこそ草の根レベルの不買運動などを書いています。おもしろいのは、オーストラリアのエロス財団の記事です。エロ下着や、大人のおもちゃの不買をしていこうというものだ。
軍需産業の後押しで、実験再開ということになったのだろうけれど、結局は、押し切られたようにこのあと行われていくのでした。
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週刊プレイボーイ 1995年10月3日号よりnew
日産「アベニール サリュー」のCMで人気沸騰。
そっと囁くセクシーヴォイスのあのコは?
松嶋菜々子(21) 「お・ま・た」

CMでクルマの後部座席から伸びて来るスレンダーな足に見とれた人は多いハズ。あのシーンは大変で
「100回以上もシートをまたいで、筋肉痛になってしまったの」
と言う彼女。高校1年の時、駅のホームでスカウトされモデル業界へ。18歳で旭化成のマスコットガールになった。勉強とモデル業を両立する超ハードな毎日だったが、高校生ながら趣味は仕事だというぐらい熱中した。
最近、スキューバダイビングを始めたアウトドア派だが、その反面、ピアノや料理もこなす家庭的な女のコでもある。これってまさにボクらの理想。
今、飼っている金魚を鯉のように大きく育てようと夢中。真夏は、あついからと氷を水槽に入れたあげたそうだ。
「キツネも飼おうか迷ってるの」
えっ、キツネ? 突然、カバンから写真を取り出し、見せてくれる。うーん、これって犬じゃないの?
「キツネです!!」
こんな無邪気な彼女に夢中になりそう。そしていつか
「お・ま・た」と囁かれたい。(記事終了)
この方は、モデルでも結構和風の顔立ちで当時のハイレグ主流の水着にちょっと似合わないかなと思いました。モデルから活躍の場が、女優さんのほうになっていき、ドラマ等を見なかった私にとっては、しだいに潮流が小さくなっていったような気がしました。
いろいろと出演し活躍していたとは思いますが、私にとっては忘れかけていた存在でした。そして昨年、どかーんと「家政婦のミタ」で大爆発、年相応の感じの役柄で、奇想天外、面白く見ることが出来て懐かしかったです。 2012-10-19記
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週刊プレイボーイ 1995年10月3日号より

撮影:井坂英樹
週刊プレイボーイ 1995年10月10日号よりnew
最後の光ディスク「DVD」はマルチメディアの最終兵器か?

今や次世代DVDとかいわれているわけですが、CDからDVDへの過渡期には、DVDは映像の救世主であったわけです。私はDVDプレイヤーは1997年に購入しましたが、これはその2年前の記事です。
9月16日、ひとつの”手打ち式”があった。
次世代の映像・情報記録媒体の決定版といわれているDVD(デジタル・ビデオ・ディスク)の規格統一がソニー陣営と東芝、松下電器産業など7社グループの間でされたのだ。
昨年12月、ソニーは業界にさきがけて単板ディスクのDVD「マルチメディアCD」を発表した。CDの本家を自負するソニーにとって絶対の自信作だった。
ところが今年の1月、ソニーに対抗する7社グループが厚さ0.6ミリのディスクを2枚貼り合わせた高密度光ディスク「SD規格」をぶつけてきたのである。
かつて、ソニーはビデオの規格をめぐる”VHS方式VSベータ方式”の戦いで一敗地にまみれた苦い過去がある。ビデオに続き、DVDでも負けるようなことがあればソニーの威信は地に堕ちる。
さぞかし、意地とメンツをかけた血みどろの戦いが展開されると思いきや、意外にもあっさりと手打ちに・・・・
実際は、7社連合が優位にたたかったとあります。容量も、5Gが近いものが、正式になりました。この記事は今(2006年)から11年前の記事ですが、私はといえば、当時パソコン環境はエプソンの98互換機で、MSDOSで動かしていたわけで、その時にDVDなんてもう無理無理というわけです。CDでもまだ4倍速ぐらいではなかったでしょうか。まだまだ、2GのHDDを、数万円で買った記憶もあります。
そのころに、こういう手打ち式が行われいたとは。
しかし、もうそのDVDも古い規格となってしまうわけで、今度はどちらがデータ円盤の地位を勝ち取るのでしょうか。このページのトップへ移動
週刊プレイボーイ 1995年11月21日号より
カモメが翔べない日。

青島都知事の当選で、東京の都市博が中止になったのは非常に残念でした。博覧会を大阪万博で終わっていた私は、東京で都市博があったら必ず行こうと思っていたわけです。バブルが崩壊して、知事の公約が公約たることになってしまうとは思っていませんでした。今思っても残念です。
ここには、モノクログラビアページで、都市博の中止と臨海副都心と「ゆりかもめ」の新交通システムについての若干のコメントと写真があります。
都市博中止から5ヵ月。臨海副都心構想見直しのこの時期に、それでも開業した新交通「ゆりかもめ」の憂鬱。
臨海副都心をいかに有益に活用するか。都市博中止以来、東京都は懇談会を開いては、抜本的な見直し構想を議論してきた。あれから5ヵ月。だが、基本的な方針すらまだ定まっていないのが現状だ。
そんな都側の煮え切らない対応に、臨海副都心への進出が決定している企業は、頭を悩ませ続けている。
・・・・
企業が進出を見合わせている今、パビリオン建設予定地だったところは”さら地”として放置されたまま。激しい風が吹く日には、砂ぼこりが舞い上がり視界が遮られるほどだ。
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(ゆりかもめの)開業日のオープニングセレモニー。一般客が約20人しかこなかったのは、その象徴的な事実といえるだろう。「ゆりかもめ」が大きく羽ばたく日はくるか。
この、雑誌に書いてあることだけからは今の状況は全くわからないのです。東京へ当時行った事のない私としては、今「ゆりかもめ」がどうなのかは、ネットで探せばわかるのでしょうが、それは知らないことにしておきます。それとこの新交通システムって、ニュートラムに似ています。
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(青い文字は、雑誌本文記事です)
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昭和の時代を見るために参考になる図書を紹介します 昭和の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 平成の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 10年ごとの年代の年表です

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