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1999年(平成11年)の出来事について

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週刊ポスト 1999年4月2日号よりnew
「週刊ポストカ」バーガール99人が刻んだ
「ニッポンおんな30年史
’72”シンシア”の愛称で17歳ブーム
南 沙織
(2/4号)
札幌冬季五輪で、尻餅をつきながらも笑顔を絶やさなかったアイススケートのジャネット・リンがアイドル的人気を集めたこの年。やはり、その愛くるしい笑顔で世の男のハートを独り占めにしたのは、”シンシア”こと南沙織だった。デビュー曲「一七歳」はこの年の大ヒット曲のひとつとなった。78年の大学進学を機に引退。翌79年に写真家の篠山紀信氏と結婚。97年には久々の新曲を出すなどマイペースの芸能活動を続けている。
アン・ルイスや松方弘樹との離婚劇で話題の仁科明子も、この年の拍子を飾っている。
・・・・(注)記事、’71年までと’73以降省略・・・・
おっ!’72年の顔で「南沙織」を取り上げてくれていたんだと、思わず嬉しくなりますが、この記事全く調べずに書かれていて「十七歳」ではなくて「17才」ですし、「97年には久々の新曲を出すなど・・・」って年がちがうやろ!とつっこみます。
間違い記事のせるくらいなら、記事を無くして表紙の写真をもう少し大きくするかモノクログラビアページに載せて欲しかったですね。
週刊ポストより
週刊プレイボーイ 1999年5月11日号より
松坂大輔「狙えるタイトルは全部狙います」

この秋(2006)、アメリカ大リーグへの参戦が決まった松坂は、もちろん高校時代から「超」のつく野球選手。西武に入っても、最強の名を恣にした選手です。私は西武自体あまりわからないので、ひとつひとつのことには何も書きませんが確かにスゴイ選手であることは間違いありません。なにしろ、60億円の一個人ですから。このプレイボーイの記事は長いので、タイトルと見出し部分を載せていきたいと思います。
松坂は高校時代からビッグ・マウスといわれていた。「完封します」「完全試合を狙います」。なんてでかい口を叩く男だろうと呆れたこともある。しかし今回、直に話をしてよくわかった。松坂大輔は、”ビッグ・マウス”ではない。本当に自身があるのだ。その自身に基づいて素直にしゃべっているだけなのだ。なんて恐ろしい18歳だろう。
「155キロ」はベストボールじゃない。
「新人王が目標じゃない。狙えるタイトルは全部、狙います」
打たれてもすぐ忘れるんです。
変化球は自然にマスターしました。
唯一の不満は「打席にたてない」こと?
東尾修監督日記・「松坂はすでに一人前だがまだ”一流”じゃないぞ!」
松坂の幸運は、入った球団が投手出身(しかも泣く子もだまる200勝投手!)だったことだろう。仮にセ・リーグ某球団の内野手出身の某監督だったりしたら、今頃、ムチャクチャな事態になっていたかもしれません。そんなわけで、20年後の松坂に「今あるのは東尾さんのお蔭です」と感謝されるかもしれない監督に話を聞いてきました。
松坂の凄さはアドレナリンにあり?
・・・・
だから、「プレイボーイ」の読者も是非とも西武ドームに足を運んで欲しいよ(笑)
絶賛と賞賛の嵐ほどには無いにしても、非常に好意的な記事になっています。なかなか、新人からずっとトップをとっていける選手は少ないもので、特にピッチャーは、故障とメンタル面の低下があるとあっというまにしぼんでしまうものですが、松坂はそれ全くみせずに、大リーグ行きを決めました。スゴイです。 
週刊プレイボーイ 1999年10月19日号より
TOYカメラカタログ

現在のように、携帯での写真が当たり前になるまで、このインスタントカメラ(ポラロイドカメラ)の流行がありました。私の会社でもそういえば買っている人がいたように記憶しています。
私は、ずっと一眼レフ派なので昔々にポラロイドの折りたたみタイプの中古を買ったことがあるくらいで、すぐに手放しました。この平成のインスタントブームはあそこの店ではフィルムが安い、また別の店ではチェキがあったとかそういう騒動が起こったようです。・・・
チェキ、ヒッパレー、シャオのインスタント3兄弟
”女のコたちの間では、もはやカメラは立派なコミュニケーション・ルーツ。高価なものでなくたっていいんです。彼女たちの心をくすぐるのは、チープだけど可愛いオモチャみたいなカメラ。ボクらもそんな「トイ・カメラ」を持って出かけましょう。素敵な出会いが待ってますよ。”
「とうとう手に入れたわ!」
先輩のギャル通ライター・ヒデ姐さんがバッグから取り出したのは「チェキ」。
「これさえあれば、もう間違いなくも女のコにモテるわよぉ〜」
無視無視。
・・・
この頃は、チェキのヒットで、市場には品薄。あれば即買いが常識だったようですが、フィルムは10枚で700円くらいとかなり高くて、名刺代わりに写して、相手にあげるというのもお金がいったようです。
キレイに撮るだけじゃ能がない。被写体の受けを狙え!
バッグの中で、けたたましい電子ミサイル音が鳴りだした「メロディカメラ」
「SKELETON 写るんです」って中の部品が見えてカッコイイ
ロモ、ミーシャ、プチコレ・・女のコは2ショットを待っている
「接写もできる写るんです」
・・・・・
本当に、沢山のタイプのカメラが出てきましたが、ついには携帯での写真がそれらを駆逐してしまったように考えます。大阪の観光地(道頓堀とかですが)携帯で撮る人の多い事。たまに、フィルムの「写るんです」で撮ってる人も見かけますが、私の若い頃にくらべると全員がカメラをもっているのは非常に”恐ろしいこと”のように思えます。
こういうインスタントやトイ系カメラが流行ったのも、時代の流れの一部だったようです。  
1997 1998 1999 2000 2001
(青い文字は、雑誌本文記事です)
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