1984年(昭和59年)の出来事について
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週刊朝日 1984年4月27日号より
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恨み節や失恋歌の暗さが魅力なのに健康的すぎる中島みゆきの「ひとり」
あだち充の漫画「みゆき」と中島みゆきの人気ぶりを称して<みゆき現象>と呼ぶらしい。みゆきのLPは出すと必ず50万枚は売れるという。文壇老大家の埴谷雄高氏と大岡昇平氏が興奮して電話をやりとりした挿話、文芸批評での吉本隆明氏の論及などもよく知られている。サルトルやボーボワールが実存主義の巫女としてグレコを愛でた光景を彷彿させる。
文化祭でシンポジウム「現代詩における中島みゆきの位置」を企画した都立足立高の生徒は「授業で習う近代、現代詩よりも彼女の歌のほうが魅力的」という。
この筆者は、どうして足立高校の文化祭を知ったのか。どこかの新聞にでも載ったのか。それともニュース?出してきた例があまりにも唐突すぎる。
さて、久々のシングル「ひとり」(キャニオン、七百円)は、いささか失望させられたというのが正直な実感である。例のうらみ節、失恋歌なのだが、何とも健康的すぎる。学芸会で直立不動のまま唱歌を歌う優等生のイメージしか浮かんでこないのだ。
思えば彼女の「エレーン」や「異国」は傑作だった。魂をも凍らせる歌とはこういうのを指すのだろう。かつて桶谷秀昭氏は「光太郎が”火星が出ている”と書けば、火星は光芒を放って確かに出た。地軸はぐらっとゆらいだ。竹内好が”一日中雨は止みそうもない”と書けば、忽ち世界は暗となった」といったが、この二曲がまさにそうだ。歌詞の位相は芭蕉の「猿をきく人捨子にあきのかぜいかに」であり、田村隆一の「立棺」だ。
自殺者を続出させたダミアの「暗い日曜日」以上の劇薬がここに秘められている。私はどんな晴朗な気分のときも、これを聴くと暗鬱になる。みゆきはほとんど号泣している。たとえば彼女と同様の絶望しきった人間に出会ったら、何ができるだろうか。私の処方箋は”毒をもって毒を制せ”だ。このみゆきの曲そのものを聴かせるだけだ。(斎藤慎爾)
(記事終了)
このコラム、インターネットが発達した社会で読めば調べも簡単で、「ああそうか、これはこれあれはあれ」として読めますが、この当時・・・桶谷秀昭・田村隆一の「立棺」・竹内好の文・ダミアの「暗い日曜日」 等々・・・これらをどうやって調べるのか、
一週刊誌の読者に何をもとめているのか
と思います。もちろん斎藤慎爾という方もよく知りません。
これらの蘊蓄が中島みゆきを語るのに必要なのか? というか、別のコラムニストがいなかったのか、そんな思いになります。
国語、古語、漢和、英和、和英辞典は中学校、高等学校では購入して持っている読者も多いでしょうけれど、広辞苑、人名事典や百科事典は、そうそう持っているかたがいたかどうか。
現在ならヤフーやグーグルで答え一発なのでしょうけれど・・・。
私は、「ひとり」「エレーン」「異国」を聞いたことがなく、知りません。その他に出てくる人の名前は、現代人なら知っていて当然と言われるなら、私は残念ながらそれらの方の知識はほとんどありません、としかいいようが無いのですが・・・。
中島みゆきが当時非常に流行っていたということでこの記事を載せました。
2012-10-10記
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(青い文字は、雑誌本文記事です)