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1964年(昭和39年)の出来事について

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サンデー毎日 1964年1月26日号より
7人のニューズ・メーカー

こんにちは赤ちゃんの梓みちよは、声が心地よくて好きでした。中学1年生でしたし、小遣いもほとんどもらっていないので、レコードを欲しくて親にねだって買ってもらったと思います。そこでB面の「いつもの小道で」が、こんにちは赤ちゃんより良い感じがするなと思いました。
梓 みちよ(19)
『こんにちは赤ちゃん』のレコード大賞受賞以来、また一段と忙しくなった。ラジオ、テレビ、舞台はもちろん、『こんにちは赤ちゃん』の映画出演の話もあるほどだ。
「私、小さいときから歌手になりたかったの。その念願がかなったばかりか、わずか一年半で大賞がいただけるなんて、夢にも思わなかったわ」
笑うとかわいらしい八重歯ののぞくハイ・ティーン歌手である。(東京都品川区・・・・)
小さいころは、巨人大鵬卵焼きということでした、私もまたそうでしたのですが、ここには柴田選手のことも書かれています。
柴田 勲(19)
昭和19年2月8日が誕生日だから、宮崎のキャンプ中に成人になる。
「ことしぜひやらなければならぬこと・・・それは左バッター・ボックスにはいるチャンスが多いので目標をレフトに流せるバッティングの習得におきたい。それに走るほうもタイミングのとりかたをくふうして、盗塁王もとってみたい」
去年のキャンプでは、投手から野手に転向した一年目のこととて一軍に入れてもらえなかった。それがことしは練習も好きなだけやれる。
長島、王につぐ第三のスターをめざす若もの。(川崎市・・・)
そういえば、柴田選手は、ピッチャーで入ったのだったのかな。あまり覚えていません。長島、王ばかりだったような・・・。
このページのトップへ移動2008-07-09記
Music MONTHLY 1964年2月号よりnew
全国のレコード店が選んだ今月のベスト・セラーズ('63.12.25)

邦楽(45)
順位

01.
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10.
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13.
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18.
19.
20.

曲名

こんにちは赤ちゃん
夕日の丘
美しい十代
悲しきハート
学園広場
白い制服
ラストダンスは私に
長崎の女
星空に両手を
仲間たち
人生街道
島のブルース
民謡鉄砲節
ギター仁義
若い明日
泣きぬれて
高校三年生
エリカの花散る時
女侠一代
見上げてごらん夜の星を

歌手

梓みちよ
石原裕次郎・浅丘ルリ子
三田明
弘田三枝子
舟木一夫
橋幸夫
越路吹雪
春日八郎
守屋浩・島倉千代子
舟木一夫
畠山みどり
三沢あけみ
鉄砲光三郎
北島三郎
北原謙二
ペギー葉山
舟木一夫
西田佐知子
畠山みどり
坂本九

当時中学生だった私は、邦楽はもっぱら青春歌謡、洋楽はビートルズを聴いていました。青春歌謡といえばもう御三家・舟木一夫、橋幸夫、三田明でしたでしょうか。そして西郷輝彦や梶光夫、久保浩が流行っていたような記憶があります。
週刊文春 1964年2月17日号より
14歳のフェア・レディ 中学生女優 高見理紗の素顔

私が中学、高校の頃に一番美人の女優さんといえば、この高見理紗でした。私とあまり歳も変わらなかったのに当時は非常に大人びた感じの方でした。あっという間に、人気がでてあっという間に、いなくなってしまったという想い出があります。

写真はグラビアより「高見理紗、高見エミリー姉妹」

「父はあたしを、自分の秘書にしたかったらしいの だから女優になることは反対でした でも今はあきらめて そのかわり 学校の成績だけは絶対にさがらないようにって・・・」と語る高見理紗さんは東映の正月作品「東京ギャング対香港ギャング」のクーニャン役でデビューしたばかり
その可憐さを買われて 次作「ならず者」でもクーニャン役を演ずるが ゆくゆくは「青春もの」のヒロインに 育てていきたいのが会社の意向のようだ とにかくこれまでの東映にはみられなかった都会的なムードをもつ彼女が東映という水のなかで どんな伸びかたをしてゆくか 楽しみなことである
彼女はオーストラリア人の父親をもつ日豪混血児・・・1949年東京に生まれ・・・
12歳の時に、ラジオの英語放送のディスクジョッキーをつとめてその後テレビに出演中をスカウトされとありますが、当時私は芸能関係に、ほとんど興味がなかったのでこういういきさつは、2008年この文春を古本で買ってみて初めて知りました。当時、両親は週刊文春や新潮を買っていたはずなのですが、親がおいていた週刊誌を読むことはなかったです。というか、文春や新潮はあまりにも大人の週刊誌だったからです。
「おとうちゃまは日本語があまり上手じゃないので家中の会話は英語です ただし 叱られたときの口答えだけは 日本語をつかいます だから日本語でしゃべると なにかボクの悪口をいったなっておこります」と母子三人で首をすくめてわらう」
この写真の次のページには母さんも載っていますが非常に美人のかたです。
私が高校に入って「白馬のルンナ」とかこの高見理紗とかいろいろな方がごっちゃになって、当時を思い出しています。
(2016-10-24追記)今や、高見エミリーちゃんも未亡人そして、代議士さんのお母上ということなんですねぇ。
このページのトップへ移動2008-08-25記
週刊サンケイ 1964年12月28日号より
”紅白”51番目の怒り

1964年、昭和39年といえば、東京オリンピックが開かれ興奮したことを覚えています。聖火ランナーの応援で学校から沿道へ旗をもって出かけましたし、体育の時間がTV観賞なんていうときもありました。ニチボー、体操、三宅強かったですね。
歌も、私としては青春歌謡全盛の時であったと思っています。橋、西郷、舟木、三田、安達、梶、久保、・・・とレコード大賞は「愛と死をみつめて」でしたが、このころは男性歌手の歌が好きでした。遠足のバスの中で皆が歌うものといえば、こういう青春歌謡曲でした。学校の環境で歌謡曲が歌えるといえば遠足だったわけです。
歌合戦出場25組にもれた歌手たち
NHK恒例の、大晦日のゴールデン番組”紅白歌合戦”の出場歌手のメンバーが決まった。
だが、選ばれる側の歌手にとっては、人気と実力を裏付ける登竜門。選ばれた者の喜びの陰には、当然、落選組の怒りと悲しみとボヤキがある。
消える組    楠トシエ 田端義夫 松山恵子 三浦洸一 北原謙二 ジェリー藤尾 高石かつ枝 旗照夫 三沢あけみ スリーグレイセス トリオこいさんず 守屋浩
功労賞的出演も
この”歌謡界の台風の目”紅白歌合戦だが、去年は86.5%という、ベラボウな高視聴率だった。
オリンピックで人気を呼んだマラソンやバレーでも80%だったから、いかに人気のある番組かわかろう。NHKとしても、単に音楽部だけの番組とせず、全NHKの歳時記的な催しとして、視聴者の要望に応えようとしている。
新登場の組     克美しげる 西郷輝彦 新川二郎 三田明 青山和子 岸洋子 九重佑三子 コロムビア・ローズ
みんな、われこそ51番目
今年、レコード大賞新人賞をえた都はるみも、新人賞をうけてからは「紅白に出られるのかしら」と、小さな胸をときめかしていた。しかし、NHKの選考では「ほとんど無反応だった」そうだ。
「私は、まだ若いんですから」とこの十六歳の少女は、如才なく笑ってみせるのが、かえって笑顔がいじらしい。
「出られれば出るに超したことはありませんが、都の場合、NHKのオーディションにも通っていなかったので、今年は仕方なかったと思います。会社としても、彼女は来年、再来年とノビていくものとみていますし、まだチャンスはいくらでもあるからといいきかせているんです」(コロムビア音楽芸能営業部)
いずれも、胸の中の怒りはともかく、ことばはおとなしい。「相手がNHKですからねえ」と、肩をすぼめるマネージャーもいる。「NHKににらまれたら、それこそおおごとだ」というのだ。

このころの化け物視聴率を考えると、そうそう簡単には辞退しますの一言はいえなかったのです。ヒットするしないということよりも翌年からのランク付けなどにも影響したようですから、出なくてはということだったのでしょう。
このときでも、やはり??人選はあったようで、私が見ても一覧表に出場歌手名がありますが、芦野宏、立川澄人、森繁久弥、渡辺はま子、淡谷のり子、江利チエミとかまあ、???ですか。
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(青い文字は、雑誌本文記事です)
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