1957年(昭和32年)の出来事について

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週刊朝日 1957年9月15日号よりnew
市外通話のかけかた
これまで、市外へ電話をかけると一時間も二時間も待たされるのが当たり前になっていましたが、最近は、申し込めばすぐにつながるようなところがふえてきましたので、次に市外通話のかけかたのいろいろについて紹介してみましょう。
このころは、電話の普及がまだまだでしたから、よっぽどの急用でないかぎりは電話しませんでした、だから今でも深夜の電話は、不幸があった電話だろうと言われているわけでしょう。
*自動市外通話のかけかた
最近、東京、大阪、名古屋や北九州では衛星都市との市外通話がダイヤルするだけでかかるところが大変ふえました。この通話のかけかたは
(1)例へば東京から川崎の2局一二三四番へかける場合は
     (川崎の市外局番)    (先方の電話番号)
      〇四      ----    2-- 一二三四
とダイヤルします。
(2)ダイヤルを回す時、数字と数字の間を十秒以上あけると途中できれて、つながりませんから先方の電話番号をよく確かめてかけることが大切です。
(3)通話が一通話(三分間)以上になると、一通話ごとにその通話が終わる一二秒前から六秒間、プープーという予報音が出ます。これは今、何通話したかを知らせる音ですからそのまま通話を行って差し支えありません。
(5)自動市外通話の料金は、度数計でしない通話料とコミになって計算されるので、通話後、「今のは何通話?」と電話局へ尋ねても調べることができません。そこで、ホテルなどのように、市外通話をかけた人から、その都度、通話料を貰わなければならないような場合には、直接先方を呼び出さないで、「〇一」をダイヤルし、交換手に通話を申込み、その際「すんだら料金を知らせてくれ」といっておくと通話が終わり次第、料金を知らせてくれます。
映像イメージとしては交換手が多量の目の前の電話の交換ジャック(標準のヘッドホンジャックのようなものでした)を素早く抜き差ししているのが思い出されます。
*即時市外通話のかけかた
東京、大阪、名古屋、京都、広島、福岡、仙台、など大都市間の通話は申し込めば、待たずにつながるようになりました。
(4)通話先にしたがって申込番号(一〇二、一〇三)をよく確かめ、交換手が出たら、(イ)先方の局名と電話番号(ロ)こちらの電話番号をいって、そのまま切らずに待っていると、すぐに先方が出ます。
(2)通話料金を知りたい場合には、申込の際に、そのことを交換手にいっておくと通話後、料金を知らせてくれます。
「自動」が現在のダイヤル市外通話であり、この「即時」という文字でも現在のような電話のかけかたを想像しますが、やはり交換手を通していたわけですね。
*待時市外通話のかけかた
(4)自動式の局では局番なしの一〇六番、交換手の出る局では市外係(記録係)へ(イ)先方の局名と電話番号(ロ)こちらの電話番号をつげ、受話器をいつたんかけ、電話局から知らせがあるあるまで待ちます。
(2)通話料金をしりたいときは、申込の際、そのことをいっておけば、通話がすみ次第知らせてくれます。
(5)こちらか、先方かに、電話が二本以上あるときは、申込のときに、それらの番号を交換手にいっておくと、たとへ一つの電話が話中でも空いている方の電話へつないでくれます。
(4)申込の取消はいつでもできますし、先方が出る前に取り消せば無料です。しかし、次の場合は取消料がかかります。
(イ)先方がでてからの取消(ただし、申込んでから、普通電話では二時間以上、至急又は特急電話では一時間以上たっておれば、無料です。)
(ロ)定時通話の場合
(5)閉店時間や外出などの関係で、きまつたじこくまでにつながらなければ都合が悪いときには、申込の際、あらかじめ、取消の予約をしておけば、その時刻までにでないときには、電話局で取消しておきます。
(6)申し込んだ人の行き先がわからないときには、すぐ「後廻」といえば、後廻しにすることができます。(次ページ省略)
(この記事は「広告の頁」です・おそらく電電公社の広告だと思います)
そういえば、昔は「地名・局番・電話番号」を言っていたような記憶があります。ダイヤル市外通話になって、ものすごく便利で早くなったわけです。
この頃は、家にはもちろん電話はなく、近くの偉いさんのお家へかかってきていました。あたりまえのように、(呼び出し)大阪62−0000でお願いしますと、訪問された方に父も母も言っていたと思います。かけるときは、本当の緊急以外では、もちろん電話がある個人のお宅へはいけなくて、次の通りの角のたばこ屋さんに公衆電話があったので、かけに行っていたようです。
現在の便利さはこのころから比べると異常ですけれど、電話がメールに取って代わられる時代になったというのも、また凄いことだと思います。 2012-11-10記

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(青い文字は、雑誌本文記事です)