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1989年(平成元年)の出来事について

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週刊朝日 1989年10月13日号よりnew
巨人を逆指名! 上宮・元木の厚顔
ダメなら米国へ野球留学だとさ!
新日鉄堺の野茂英雄投手とともにドラフト一位指名候補の元木大介君の進路表明記者会見が、十月二日、大阪市天王寺区の上宮高校で行われた。
会場に現れた元木君は、眥を決して臨んだというふうな緊張の面持ち。のっけから出た「意中の球団は?」の質問に、
「巨人一本に絞っています」
ときっぱり答えた。その後も、
「巨人から指名がなければ、プロには行かないと決めている」
このときは、元木君完全に悪役になっていました。私は巨人ファンではないので、あまり注目しなかったわけですが、策を弄しての初志貫徹はどうなのかなと思います。大人いやマスコミからすると若造が、知ったような口をきくなというところでしょうね。
「百パーセント、巨人でやりたい」
と、かたくななまでに熱烈な巨人コール。
かつてスポーツ紙のアンケートで好きなチームとして西武やダイエーの名を挙げたこともあったのに、この記者会見では、
「なんとも思っていない」
----君の年齢じゃ、巨人のV9時代も知らないし、いまの巨人って、そんなに強いチームじゃないでしょ。どこがいいの?
「ぼくは、巨人は強いし、いいチームだと思っています。巨人のユニホームを着て試合に出ている人たち全員が輝いて見える」
----清原君も巨人へ行きたいといっていて、結局は指名されて西武へ行ったでしょ。どう思う?
「ぼくは、ああいうふうになりません」
清原のようには確かになりませんでした、球団選択も、その野球の成績もですね。翌年巨人入りがかなったのですが、結局なかずとばずでの選手生命の終焉。美人アナとの結婚はありましたが、今現在もやはりなかずとばずのようです。
巨人に指名されなかった場合の進路は二通り考えているそうだ。一つは、日本石油に入り、社会人野球でプレーすること。もう一つは、アメリカへ留学し、なんと、大リーグ傘下の球団で練習を積むことだという。
留学話は、山下烈監督(四一)が、
「友人を通して、内々に話を進めている」 といっており、まんざら絵空事ではなさそうである。
ただ、巨人に指名してもらえる自身は? プロでやっていけると確信できたのは、いつ?というシビアな質問になると、
「わからない」
と急に小声になったあたりは、ちょっと心もとない。
「巨人でプレーするという子どものころからの夢にこだわって、視野が狭くなっているように思う」
と山上監督。父親ともども、元木君の頑固さに押されっぱなしという感じである。
九月二十九日、退部届が高野連に受理され、今後各球団からの接触が予想される。巨人以外の球団の人とも、
「会って話だけは聞いてみます」
と、表向き柔軟さは示すが、
「ぼくの気持ちが変わることにはないと思う。いままで、人にいわれて気が変わったことはない」
と言い放った。(記事終了)
実のところ、高校野球には全く興味はなかったので、いろいろな選手のプロに入ってからの活躍や挫折だけしかしりません。(甲子園で毎年行われるという高校生全国野球大会は見ません)それゆえプロの期間では選手としてだめだったということです(私見ですが・・・)。2012-10-12記

週刊朝日1989年10月13日号より
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(青い文字は、雑誌本文記事です)
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