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1987年(昭和62年)の出来事について

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週刊宝石 1987年1月16日号よりnew
木之内みどり(29)離婚問題に揺れる元アイドル
奪った夫に”愛人”発覚・・・・
元・清純派が直面した女の成熟度!

清純派のアイドル歌手だった木之内みどりさん。妻子ある後藤次利氏(34歳・ギタリスト、アレンジャー)と不倫のアメリカ逃避行までやって、正妻の座に収まったものの、亭主の浮気はほとんどビョーキ・・・・。

「ま、離婚は間違いないでしょうね」
こともなげに言うのは、芸能レポーターの梨元勝氏。
「後藤氏は、”別居は冷却期間”と言ってますが、芸能界でこれまで別居して元に戻った例はありませんからね」
入籍して7年。中島みゆきとの噂でもひと悶着あったが。
今回の相手はかつてのみどりさんと同じあいどるの堀ちえみ。
この古本の週刊宝石の記事で堀ちえみも毒牙にかかっていたのかという思いですが、当時もう既ににアイドル等々はあまり興味のない存在でしたから、読んでビックリです。
昨年11月、用賀(東京・世田谷区)の家を飛び出したみどり夫人は、親しい人にこう語ったという。
「前(中島みゆき)のときも今度(堀ちえみ)も、自然に流して生きようとしたけれどもダメだった。もう我慢できない!」
これに対して後藤氏も、テレビのインタビューに答えて、
「彼女(みどり夫人)も若いしおたがいがよくなることを前提として、話し合いしているところです。これも(人生の)流れの一つのです」
とすっかり開き直った感じ。
本誌の直撃にも
「用事はないよ、帰りなさい」と、そっけない。
また、北海道小樽市に住む緑夫人の母(70)は、
「向こう(後藤氏)が別れると言うんなら、ありうるんじゃないですか。娘はこっちにおりません。東京にいます」
これを総括して梨元氏は、
「後藤氏はみどり夫人のときも今度の堀ちえみも”ファンだファンだ”言って口説いている。これに対して堀ちえみは、”本当に後藤さんはアレンジャーとしてすばらしい”と、これまたみどり夫人が言ったのと同じようなことを言ってるんですよ、因果はめぐるという感じですね。慰謝料ですか?前夫人のときが5千万円といわれていますから、その額を上まわることは確かでしょうね」
と、まるで離婚が確定したようだ。こうなると浮かびあがってくるのが、彼女の芸能界復帰の可能性である。しかし、彼女もあと半年ほどで30の大台。かつて彼女の担当プロデューサーとして、何曲もヒットを放ったキャニオン・レコードの小俣達雄取締役は、
「歌手としてはブランクがありすぎるので、どうかという気がしますが、相談にはのってあげたいと思います」
実のところは、復帰して今歌謡界を賑わしていて欲しかったですね。奥さんになっていても、石川ひとみや榊原郁恵・・・いろいろなかたがいまだに残って活躍されているわけですから。
彼女ならあの可愛さですから50になっても別格の美しさ。美熟女になっているのではと、想像しますが、実のところは全くわかりません。
竹中氏も少しくらい実生活を暴露すればいいのにとか思います。
また、当時所属していた浅井企画の川岸プロデューサーは、
「浅井企画で復帰? それは100パーセントありえません。個人的には相談にのってあげるつもりですが・・・・」
元アイドル歌手が、30に手の届く年齢になって、残された道はそう多くはない。芸能プロ関係者の一人は言った。
「熟女の復帰ということで、ヌードあたりからコンタクトがはじまるんじゃないですか」
花の盛りの7年間は、彼女にとって何であったのだろうか。
こんな、清純派がヌードなんていう恐ろしい予測記事があるわけですが、すぐに竹中氏のもとに収まったようで、重畳重畳です。
週刊宝石1987年1月16日号より 週刊宝石1987年1月16日号より
これより一寸昔の騒動記は
1978年です。このページのトップへ移動 2013-08-31記
週刊朝日 1987年3月20日号よりnew
’83 Clarion Cirl Contest
歌謡曲のノリとズレつつトップを走る中森明菜
中森明菜
渋谷陽一のロック微分法
現在のレコード業界にあって完璧なスーパースターといえるのは中森明菜(写真)である。昨年のレコード・セールスを見てみると、シングル、アルバムともに総売上の第一位、出したレコードもすべて一位を記録、むろんアーチスト売上もトータルで一位になている。ちなみに二位はレベッカ、三位は渡辺美里、四位は安全地帯、五位はKUWATA BANDである。いわゆる日本のロックが圧倒的な強さを示すなかで、いかに中森明菜が特殊な存在か分かるだろう。
私にとっては失われた80年代であり、このころの歌謡界はさっぱりですが、中森明菜ってすごかったんだと思います。今は隠居されているので、松田聖子ばかりがもてはやされるようですが・・・
ところが面白いことに、これだけのパワーを持ちながら、中森明菜は一時の松田聖子やチェッカーズのようにブームになっているという印象を与えない。いつも二番手といったイメージを引きずっている。ある時は松田聖子の対抗馬だったり、小泉今日子の対抗馬だったりしている。
つまり、いつも時代の主流に対しズレの位置にいるのである。これが中森明菜の偉大なところなのだ。時代の主流になるということは、時代が変われば主流でなくなるということでもある。しかし、対抗馬は主流が変わっても、対抗馬でいることができるのだ。この方法論で彼女は生き延び完全なトップランナーになった今でも、その二番手イメージ、対抗馬イメージを保ち続けている。
中森明菜のデビューから何年間くらいでしょうか、ややぽっちゃりした時代が好きですね。(これも90年代以降に思ったことですが・・・)
歌もうまく、声量もありと、いうことなしで、なおかつ可愛かったわけですが、いつのまにかカリスマ風になると、どうも小手先の歌い方というか、声が出なくなったようで本当に可哀想でありました。「歌姫」シリーズも初期のころのような歌ではなくて、なんとなく口ずさむという体で、寂しくなります。カバー好きとしては一応CDも買ったりしましたけれど、本当に残念なカバー曲になっています。
これはプロダクションやレコード会社のスタッフが優秀だからできるのだろうが、やはり何より彼女自身が偉大なのである。ベストテン番組を見ていても、中森明菜はどこか浮いている。まぎれもなく歌謡曲歌手であるにもかかわらず、歌謡曲のノリからズレているし、いつも心ここにあらずという顔をしている。歌謡曲シーンにあって、珍しく風化しないキャラクターといえるだろう。(記事終了)
あまりに二番手二番手と、持ち上げているようで結構貶した批評で、読む方も辛いです。「珍しく風化しないキャラクター」って、・信楽の狸の置物・よくて・招き猫・ですかって言いたいですね。
言い得て妙と思われたくて、この記事を書いたのかと・・・・。
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2012-09-20記
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(青い文字は、雑誌本文記事です)
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