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1988年(昭和63年)の出来事について

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週刊朝日 1988年3月18日号よりnew
中野翠の迷走テレビ
深夜の激論に燃えてる私

私がいまいちばん燃えてしまうのは、テレビ朝日が毎月一回だけ、深夜一時二十五分から早朝六時までやっている討論番組「朝まで生テレビ」だ。
この番組では、毎回違ったテーマを取り上げていて、二月二十六日は日韓日朝問題をめぐっての討論だった。題して「激論!!どうなる日本・韓国・北朝鮮」。論客(パネリスト)は、評論家の小田実氏や映画監督の大島渚氏や女優の李麗仙さんなど十人あまり。司会は作家の野坂昭如氏。背後のヒナ壇には在日の二世、三世の若者たちがズラリと並んでいる。
「朝まで生テレビ」は、もうずいぶん前に何回か見た程度です。夜更かしができないたちで、まず見ていても寝てしまいました。このころは文化人といわれるかたで仕切っていたのですね。
例によって討論はかみあわず、たどたどしく進行していく。パネリストの人たちはそれぞれ異なったアプローチの仕方をしているので、こういう混乱はある程度仕方のないことだし、混乱するからこそ面白いのだ。ところが、この番組ではいつもそうだが、午前三時ごろになると決まってこの混乱ぶりにケチをつける若者が出てくる。「パネリストの先生たちより、わたしたちに討論させたほうがよっぽどマシだ」などとミエを切ったりする。それなのに、進行役の美里美寿々から、「じゃあ、あなたはどう考えているわけ?」と鋭いツッコミを入れられると、何も答えられなかったりするのだ。
情けない。「甘ったれるんじゃない!」と私は怒り狂う。この日もやっぱりその時間帯にそういう若者が出てきた。さらに、被害者意識をむきだしにすることしかできない若者がいて、私はイライラした。パネリストの中ではただ一人、李麗仙がそういう若者を厳しく叱っていて、立派だった。私は、李麗仙のイラだちの中にかえって、在日の人たちの苦しみの深さを察した。
感情移入するのが、こういう討論番組ですとあまり私は無いのですが、最近見ている時代劇ですと本当に、「泣いてしまう」というものが再放送のものには多すぎます。とくに、弱い者、農民、町人の女子供が、案の定簡単に斬り殺されると、可哀想にと(ドラマながら)涙がでてきます。これは、ここ数年のことで、昔はほとんど見ていて泣くことなかったのですが・・・。
私にはよく分からないが、民放テレビでこういう問題を取り上げるのは、たいへん勇気のあることなのではないかと思う。いままでもこの番組では防衛問題などきわどいテーマを取り上げてきた。偉い。私はこの番組のスポンサーをひいきにすることにしよう。(記事終了・太字は本文通り)
討論番組は、実のところ絶対にかみ合わない両者を登場させて、言い争いをさせるだけというパターンが、現在もずっと続いていて、「おー、その意見俺も賛成だ」と肩をたたきあうというような結末はあり得ぬものです。それだけ、始末に悪い番組といえましょうか。
どうしようもない思いが胸の内に残ったまま番組だけ終わってしまうのが常です。 2012-10-11記

週刊朝日1988年3月18日号より
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(青い文字は、雑誌本文記事です)
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