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1972年(昭和47年)の出来事について

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週刊朝日 1972年4月21日号より
中年男を感じさせる清純派3人娘の浸透度

1971年から72年にかけて活躍した3人娘を当時の中年男性はどう評価するのかということなのですが、南沙織をメインに記事より抜き出してみようと思います。
ブラウン管の人気を三分した感じの三人のヤング娘、小柳ルミ子、南沙織、天地真理のセールスポイントは、ごく自然ににじむ清純ムードだそうです。・・・・
南沙織のピチピチした魅力のとりこになりかけているのは、映画監督の羽仁進むさん(43)です。
「アフリカのサバンナを駆けるカモシカだ」
カモシカのところに一段と力がはいります。羽仁さんは、つい先日もテレビのワイドショーで、「私の選ぶ美女」に南を推薦したばかりです。
「僕の選んだ美女たちが登場するとき、彼女はテレて舌を出したんですよ。それがまたテレビに写ってしまったろうと思って、真っ赤になったのがとてもかわいかった」・・・・

そうなんですか、羽仁進むさんが南沙織を推してくれていたのですか。他の二人よりは、文化人や先生方に人気があると当時いわれていたように思いますね。
美女の話がお好きとかでウワサの高い、和歌森太郎東京教育大教授(56)も、南沙織がお気に入りです。
ズケズケ甘ったれたことをいいそうな子ですね。甘えてもらいたい、あんな子が娘であればいい、と思います。最近、”沖縄”にこっているせいもあるんでしょうけど、白人のエキゾチシズムとも違う、南国的な明るさにやっぱり魅力を感じるんでしょうか」
・・・・
相も変わらずこみ合っている夜の銀座。
−−−そうかなぁ、南沙織って子も、南国的でサッパリしていていいじゃん。
−−−いやいや、あれは去年のひと。今年は天地真理ですよ。・・・
・・・・
「中年ってのは、お父さん、お母さんみたいなひとたち・・・。わたしは、やっぱり、小、中学生のファンがいちばん多いんです。
それで、自分の子どもがファンだからサインして下さいっていうお父さんがきたりしますね。自分の子供の友だちっていうか、仲間みたいな感じで見てくれる人が多いんです」
私は当時大学生でしたから、小学生、中学生事情に詳しくないので、そんなものかなぁと思います。
・・・・
CBSソニー宣伝部の室田知弘さんは、
「南の場合、イメージづくりは緻密にやりましたよ。キャッチフレーズは”コバルトの海が運んできたオレンジの恋”。予想外のすごいヒットで驚いたくらいです。フィリピン人とのハーフで、デビュー直前まで沖縄で暮らしていた、そんな特殊な環境がよい意味でプラスしていると思います。コケットリーではないが、若い女の子のもつ、ある種の”色気”をもっていますしね」
・・・・
清純ムードのなかでどう成長するか
レコードの売上もせりあっていて、小柳の「私の城下町」が公称160万枚、南の「十七歳」、天地の「ちいさな恋」がそれぞれ80万枚くらい。森進一の「港町ブルース」の220万枚には及びませんが、百万超すのが年に一回あるか無いか、ということからみれば、まさにハリキリ三人娘です。
・・・・
スターのプロマイドを一手に扱い、売上統計をとっている、浅草・マルベル堂の話では、昨年くれからずっと南が一位、この二、三ヶ月二位を守っていた小柳が最新の統計では三位に落ち、かわりに天地が二位に食い込んだそうです。
・・・・
中年男の心にまで浸透してきた”清純派三人娘”ですが、彼女たちの自覚度は、どうもまだピンときていないようです。つくりあげられた紺がすりとセーラー服の清純ムードのイメージを、これからの成長のなかで彼女たちはどうしていくでしょうか。
最後の紺がすりとセーラー服って、どちらもシンシアにはあまり縁がなかったような気がしますが。当時の飛ぶ鳥を落とす勢いの三人の話はなかなか興味をひかれます。


写真はいずれも週刊朝日1972年4月21日号記事より
このページのトップへ移動2009-11-15記
週刊朝日 1972年5月19日号より
ご当地ソングばやりの歌謡界に海外版が登場

長崎、京都、横浜、札幌・・・・・、歌謡曲の世界はご当地ソングばやりだが、こんど、その海外版まで登場した。
「もっと世界に目を向けて、世界のご当地ソングを作ろう」
という浜口庫之助の作曲で、メキシコはタスコを歌った「タスコ慕情」がそれ。歌っているのは渚まゆみ。
メキシコ五輪から4年目。この年はドイツ、ミュンヘンオリンピックの年であったのに、メキシコとはと思いました。まだまだ海外へ行くということは、一大決心がいるわけでしたし、それもメキシコとなると非常に遠い。
国内に目を向けると確かに、書かれている以外に神戸、大阪、札幌・・・実にご当地は多かったですね。しかし、東京物が一番多いというのは、まあ仕方がないところですか。
東京での映画祭、ルイス・エチュベリア・アルバレス大統領の来日、日航の直行便就航と続いた最近のメキシコばやりに、さっと乗らなきゃ損というわけだ。
タスコはスペインの古い文化を残す町で、白壁の家並みが続き、ひときわ高くそびえるサンタ・ブリスカ教会が印象的だ。
渚まゆみは、さっそくタスコを訪問。
「いままで歌詞でしか知らなかったタスコを、自分の目で見、肌で感じて、あらためて感情をこめてこの歌を歌う自身がわいてきた」
と、意気盛んである。
タスコの帰りには、メキシコシチーにも寄り、本場のテキーラを味わってきたという。
メキシコブームとはいえ、日本の歌謡曲ファンになじみ少ないこのご当地ソング、はたしてどこまで受けるか。
(メキシコシチーデズニーランドが、今やシティーにディズニーです・・・)
実のところこの歌全く聞いたことがありません。渚まゆみは浜庫さんの妻となったひとで、妖艶なスタイルで歌うかたというイメージだけが残っていまして、それ以外は・・・・。
ここで、「平凡」1972年3月号付録「HEIBON SONG」でどれくらいご当地(地名入り)ソングがあるのかを調べて見ました。

      曲   名
雨の御堂筋 おもいでの京都
大阪恋唄 京都から博多まで
サヨナラ横浜 知床旅情
長崎慕情 長崎から船に乗って
北京まで2000キロ 本牧メルヘン
もいちど河原町 モトマチ物語
よこはま・たそがれ    

これだけですが、やっぱり京都、横浜、長崎が強いですね。そして曲数は多いのやら少ないのやら。「モトマチ物語」はどこのモトマチかは分かりませんが、作詞 橋本淳 作曲 筒美京平のゴールデンコンビです、どんな歌だったのだろう。そして「大阪恋唄」は日吉ミミの歌でした。 2012-10-06記
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週刊朝日1972年5月19日号より
週刊文春 1972年7月24日号より
ポルノの日活ただいま浮上中

それまでのエロ映画は、覚えている限りでは(2、3本しか見た事がないのですが)物語はモノクロで良い場面がくるとぱっとカラーになっていたようなそういうものだったと思うのですが、映画が斜陽と言われ出した起死回生策の一つが日活のポルノ参入でした。今から思うとヌードはあるがポルノではないと思えるぐらいのソフト路線だったわけですが・・・
経営のゆきづまりから、直営館はおろか撮影所、本社ビルまで身売りしてしまった日活。
ことしになっても度重なる警視庁の摘発で、もうだめかと思われたが、意外にもこの5月の配集が一億円の大台にのった。
ポルノ映画がけっこうイイ商売になる証拠だね。例の摘発のあとにも、客足は減るどころかいつもよりいいくらい。
はじめはロマン・ポルノという言葉がいいづらかったものですが、いまではすっかり・・とはある日活社員。・・・・
いま50本目を制作中。ポルノの質向上をはかるということらしい。質の向上、すなわち摘発されにくいポルノということか。

そういえば、80年代ころのアダルトビデオであったけれど、モザイク丁寧とはどういうことだと??そんな、質の向上なのでした。しかし、今やDVDでロマン・ポルノシリーズが出される時代ですから、団塊から60年代生まれごろの方にとっては、想い出すぎるのでしょう。
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平凡パンチ 1972年11月20日号より
田中真理は日本のジェーン・フォンダ!?

田中真理といえば、私の心には清純派とうつっているのですが、なぜか日活に活路を見いだしたというか、なぜにポルノ映画路線にと思っていました。結局は当時、リアルタイムでは彼女の映画は見ていないです。平凡パンチにグラビア記事が載っていました。
’72年秋 彼女は若者たちと対話をはじめた 集会にすすんで参加するようになった なぜなら・・・・
秋 大学祭の季節 今年はどういうわけか多くの大学で日活ロマン・ポルノが上映された。東北大 早大 上智大 立大 学習院大 明大 慶大 etc そして日本女子大まで。真理自身多くの大学から招待された。時間の許す限り出かけていった。ポルノ・スターと呼ばれるようになって約一年 真理ははじめて同世代の若者達と 見る側見られる側の立場をこえて話し合う機会をもったのだ。
真理はどこでも積極的に発言した「私たちの映画をどううけとめてくれてもけっこう。ワイセツであろうとなかろうと。ただそれを法律や権力にきめてもらうのはまっぴら」真理の発言は学生たちから大きな拍手と歓声で迎えられた。ポルノ女優と大学生の不思議な共感。
72年はこんなに燃えていたのですか。そうですかと思ってしまいます。私はというと夏に東北旅行をしましたしというかこれくらいこれくらいしか覚えてません。当時から映画は見なかったし。日活も全く見なかったし。
このパンチのグラビアは1ページ タイトルと田中真理の映画のシーン。2,3ページ大学通用門まえでジーンズにジージャンをはだけて上半身露出ぎみ。4,5ページ学生との集会の模様。6ページ 楽屋で着替え。ヌード風。
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平凡パンチ 1972年11月27日号より
山本リンダのチラリズム作戦
===ヘソ・背中につづくパンティ第三弾===

ヘソを出し、背中を出し、男を狂わせた山本リンダが、二十五日、三曲めのレコードを出す。話題はなんといっても、衣装。さて今度は、どこを見せてくれるか---。
***
ところがテキもさるもの。オシリかヌードかの期待もむなしく、全身をすっぽりかくしたロング・ドレスとおいでなすった。
つまりチラリズムの魅力に訴えたわけだが、さすがに気がとがめたのか、ドレスの下半身がセンターからパックリ割れている。それと胸の谷間がチラリ。
山本リンダといえば、もちろん私にとっては、甘ったるいこえで「こまっちゃうな」と歌ったものが、一番覚えていて、つぎには「涙がとまらない」もよく覚えています。(ナミダガトンマラナイドッタライイノでしたか?)再デビューの時は、流行った記憶はもちろんありますが、大して衝撃でもなかったですね。
これはこれで、けっこう想像力を刺激してくれるが、前二曲でサンザ見せられた当方としては、なんとも物足りない。
もっとも、このドレスでも、激しく動いてさえくれれば、モモの付け根も見えるのでは、の期待ももてるのだが、惜しむらくは肝心の歌がムード歌謡。動きがにぶくなる心配がある。では一体、だれがリンダに、こんなヤボなドレスを着せたのか。
犯人はNHKである。
「どうにもとまらない」はヒット日照りに泣いたリンダにとって、「こまっちゃうナ」以来実に五年ぶりにめぐってきたNHK<紅白歌合戦>出場のチャンスなのだ。
ところがNHKといえば、歌手泣かせで有名。三橋美智也は女房と離婚したため、落とされたし、鶴田浩二は”人生を傷だらけ”と観じたため、バッサリやられた。
昨年も、布施明がスキャンダラスな話題で、あやうく、飛ばされそうになった。
NHKは、商品の固有名詞だめとか、退廃、犯罪、扇情的、否定的な文言もだめとかいろいろありました。「真っ赤なポルシェ」はどこかへすっとんでいってしまいましたから・・・。
そこでリンダとしては、オシリなど出しては、とても出場などおぼつかない。ここは一番、おとなしくしているにかぎる。刺激しないことだと考えたかどうか。
すでにヘソ出しルックと同じデザインの、ヘソの見えないドレスをつくって晴れの日にそなえているというから、涙ぐましい。
もっとも<紅白>出場さえ決まれば、アトはこっちのもの。太腿あらわに、パンティのシミまで見せてくれるかもしれない、と考えるのは読みすぎか。
どうにも許せないムキは、「ひょっとしてノーパンかな」とおもいこむことだね。(記事終了)
ヘソ出しルックがいけないなら、AKBもモー娘。もいけないわけで、いつのまにやらNHKも扇情的退廃歌手が沢山出るようになってきました。しかし、過激衣装も、キャンディーズやピンクレディーで終わった感じですが・・・。
えーと?この曲は「じんじんさせて」(1972年11月25日発売)でいいのでしょうか? 2012-09-24記
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平凡パンチ1972年11月27日号より
週刊サンケイ 1972年12月22日号より
ボイン志願の双児歌手

双子歌手といえばザ・ピーナッツが定番ですが、70年代にリリーズというとても可愛い双子の歌手もいました。
そして、このサンケイを見ていてなんとその前に「ルリーズ」という双子の歌手がいたことを知りました。もちろん清純派アイドルでありますが、本当に知らなかった。
ネットで検索するとオムニバスのCDに選曲されているようですが、いやあ眼から鱗です。
ザ・ピーナッツもすでに三十路。人気のある双児の歌手は、これでおしまいかと思ったら、「最後のツインシンガーズ」というキャッチフレーズで売り出したのが、このルリーズ。姉の山口津也子(左)と妹の美也子ともに二十二歳。三年前にNHKのオーデションに合格以来、軒並み民間テレビのオーデションを受けた・・・
「恋はひまありのように」という曲で歌手として”二人”立ち。目標は浅丘雪路というから双子の”ボイン”志願誕生を祝福すべきかもしれない。ちなみに二人とも身長160センチ、体重47キロ・・・

両の八重歯が姉妹ともあるってやっぱり双子です。ルリーズ・・、やや紛らわしいというか、リリーズが後出しだから紛らわしいのか。

週刊サンケイ72年12月22日号グラビアより
このページのトップへ移動2009-11-14記
週刊アサヒ芸能 1972年12月28日号よりnew
レコード・ガイド
さわやかだヨ 全員集合!!

清純派歌手ナンテ、チチ臭いとおっしゃツご仁に、先ずは彼女たちの、青春の息吹とロマンの香り「初恋の味」をとくとご覧になれ。女は愛嬌だもんネ。
とまれ、当たりに当たったのが小柳ルミ子、南沙織、天地真理、麻丘めぐみらのカワイコ青春路線なのダ。そろってLPもでたところで、彼女たちの総括。
アサヒ芸能もこのころは、あまりアダルト色がつよくなくて、普通の記事をちょっと斜に構えて記述していました。
ディスカバー・水色の恋
初恋は実らないなかで、そのへんの乙女ごころ、胸のときめきを、巧みにくすぐりつづけたのが、白雪姫こと天地真理ちゃん。
「水色の恋」から「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」とメルヘン風に謳いあげてパックしたのが、ギフトパック・シリーズの「天地真理」(CBSソニー)。
清純ムードもここまでくればごリッパ。元トルコ嬢ウンヌンも消しとぶ。真理ちゃんの水色の恋、ちいさな恋が、文字通り、虹をわたって花ひらくか、水色だけに透明な”青い性”を期待したいモノ。
ダンゴッ鼻が笑顔にマッチして「禍転じて福」デ賞------。
「となりの真理ちゃん」でしたが、後の騒動があるので、ソニーから今回発売されるCDも買う気になりません。
ディスカバー・純潔
南沙織は、沖縄県人よろしく野性味がかえって魅力。小作りだが、均整のとれたプロポーションとルックスの良さで、元マネージャーとの恋愛問題ウンヌンも、ひとマネエージャーない「純潔」のよし。saoriの「哀愁のページ」には「17才」の心の揺れ、「シンシアの青春」が----これらの曲をパックしたのが、同ギフトパック・シリーズ「南沙織」(CBSソニー)。
「17才」は純潔デ賞------。
腹立たしいことは、南沙織の記述が一番すくないことです。まあたった一年ほどで、新人時代とは違う感じにはなっていました。歌の路線は、完全に少女から女へという、そんな曲と詞ではありました。
ディスカバー・故郷
デビュー曲「私の城下町」から新曲「漁火恋唄」まで未発表の12曲をおさめたのが「小柳ルミ子のすべて---忘れかけいた心の歌」(ワーナー・パイオニア)
「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」とまア、通して、日本の情緒を歌いあげて、国鉄の推薦?する小柳の面目躍如というところか。
”ディスカバー・ふるさと”で脱都会ムードをあおり、「素朴なものへの郷愁」を志向したところにも、強みがある。
清純ムードを表面に出さず、歌のムードで乗ってけ、乗ってけディスカバー・ジャパン"小柳号”、それがためか、たいしたスキャンダルもなく無事通過。新幹線的快適だけで、ややもすると旅の情緒「日本の情緒」はなくなる。情緒とうらさびたもの。脚光を浴びる小柳にとって、73年こそ勝負すべき年である。
サインはふるさとデ賞------。
小柳ルミ子はあまりこれといった思い出はないです、ラジオのヒットチャートの中に登場してくる歌手といった感じでありました。
ディスカバー・芽ばえ
「芽ばえ」でデビューした麻丘めぐみ。ルックスのよさと、フィーリングでは、カワイコちゃん歌手の最たるもの。
人気が実力より先行し、麻丘の場合はむしろ、テレビ的歌手ともいえる。
全体からあふれる甘美なムードは、-----さわやか律子さん。-----いや、めぐみチャン。
LPも文字通り「さわやか/麻丘めぐみ」(ビクター)ときた。
「としごろ」「愛するハーモニー」とセンチな”美しい十代”を語りをまじえて歌うあたり、リリシズムの清冽さを覚える。新曲「悲しみよこんにちは」は青春のときめき以外のなにものでもない。
もっとも「芽ばえ」の麻丘にも、乱交パーティーのホステス説もとびかい、スキャンダルも芽ばえたものだが、マスコミでは美男美女、ましてや清純派となると、カッコウのカモともいえる。そこで、カッコウワルツデ賞------。(大宮 晃)(記事終了)
麻丘めぐみに関しては、出身小学校が、住んでいた近くだったんだとか、そういうことで興味はありましたが、ちょっと私から見ると幼すぎたように感じていました。もちろん花の中三トリオもそういった思いでみていましたので、彼女たちの歌はラジオからたくさん流れてくる曲の中の一つ一つという位置づけでした。
2012-10-06記
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週刊アサヒ芸能1972年12月28日号より
1970 1971 1972 1973 1974
(青い文字は、雑誌本文記事です)
昭和の時代を見るために参考になる図書を紹介します 昭和の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 平成の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 10年ごとの年代の年表です

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