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1970年(昭和45年)の出来事について

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週刊文春 1970年4月20日号より
だれに見せるために 「ハレンチ学園」映像化の大目的

当時社会現象となったスカートまくりもこの「ハレンチ学園」を嚆矢とするわけですが、主役は誰がするのかとか、本当に漫画通りに演じることが出来るのかとかそんなことは思ったことあります。
例のスカートまくりで子どもたちに人気のある「ハレンチ学園」が日活で映画かされる。
オッパイまでがチラリとみえるマンガだけに、
「これを生身の人間でやるとなると、イヤラシクならないか、それが心配です」(原作者・永井豪氏・26)
封切りは五月連休だから、マンガブームに便乗して子供づれ客が目当てなのは明らか。それだけにチカラが入っているらしくクランクインに先立って映画界では久しぶりの一般公募が行われた。
北海道をのぞく全国から229名の応募。当日は旅費自己負担だったにもかかわらず、男81名女35名。遠いのは長野県でした。(宣伝部・三浦久氏)
男子は背タケをそろえる程度でしたが、女子は活発さの他に度胸の良さを審査した(三浦氏)のは他でもない。スカートまくりや浴場シーンに耐えられるかのテストでいまや”女は度胸”は映画界の常識。
・・・・・
それが証拠に、見事、主役にバッテキされた児島みゆきクン(18)早くもスター気取りで、「おかげさまでカッコイイ役なんです。ボインじゃない!冗談じゃないわ。私、見かけよりボインなのよ、セーラー服だとペシャンコにみえるけど、ビキニになったときなんか、すごいボインだとみんなはビックリしたのよ。バスト?83ある、本当よ。信じて。ふろ場のシーンもあるけど、私はへっちゃらよ。」
ハレンチ学園は、本当にマンガでは面白かったわけですが、映画の方は当時児島みゆき(めちゃくちゃ美人でもない)にスポットがあてられて週刊誌に載ったようですが、あまりそのころの児島みゆきは記憶にないのです。
マンガを実写版にするというのは昔は常套手段だったわけで、鉄腕アトム、月光仮面、鉄人28号等々ありましたが、やはりマンガが面白かった。
まあ、このハレンチ・・に関しては女の子の発掘的な意味合いもあったのかなぁ?
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週刊アサヒ芸能 1970年5月14日号より
万国博、太陽の塔の目玉男

4月26日以来159時間の滞空日本記録を樹立して5月3日朝、目玉男は大阪府警に逮捕された。(これまでの記録は、昭和5年川崎フジボウのエントツ男が持つ130時間20分だった)
下から眺める野次馬は、ようがんばってる、早くつかまえれんものか、警察は実力行使すりゃいいんだ、ウンチ、オシッコはどうなってる等等にぎやかだった。
犯人Sは北海道深川市出身で旭川の反戦青年委員会に属して、はなばなしい活動記録が残っていた。昭和44年にはベ平連主催のデモで北海道庁に進入し国旗を焼くなどの暴力行為に及び札幌中央署に逮捕された経歴があった。
今回は、遠くアメリカのカンボジア侵攻反対などとヒステリックに雄叫びをあげはたまた万博粉砕を叫んでいただけだったのか?
長期滞在で疲労困憊したようであるが最後まで当局の人命第一主義のたまものか命を落とすこともなく御用となった。
週刊誌の見出し 「バンパクに花を添えた?目ン玉野郎」 「滞空記録を残しあえなく沈没」 「八方結構づくめの大功績」 「イン気で衝動的な小心者」 「はるかに小手をかざしてながめるに絶景かな、絶景かなと得意満面シタリ顔だった万博・太陽の塔の目ン玉野郎、地上に降りればタダの犯罪人・・・」
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週刊新潮 1970年5月23日号よりnew
ハダカで茶の間へ

女性にボディペインティングを施してコマーシャルをつくるのがこの頃、結構ありました。モデルは、混血児(ハーフタレント)の方が多かったような記憶があります。
ボデーペインティングをした全裸の女の子がブラウン管の中でピョンピョンはね回る−−「何も着てない」「いや 薄物をつけている」 茶の間の男性ファンを喜ばせている某ガム・メーカーの”エッチ”なCMを あなたももうとっくにご覧になっているに違いない。モデルは日仏混血の小井戸エマ(18歳)。高校を出てすぐファッションモデルを開業して一年目。
バスト84 ヒップ86というボイーンちゃんだ。
鼻の先からツマ先まで絵の具を塗るのに六時間 「くすぐったい。心臓の裏が痛い」−−まる半日スタジオにカン詰にされての悪戦苦闘。「人気が出てもタレントにはなりたくないの。ファッションモデルの仕事だけ。あまり騒がれるとかえって迷惑」−−ハダカはこれが最初で最後(?)とでもいいたげな口ぶりだった。

ハダカはこの方「最初で最後」ではありませんでした。篠山紀信の写真モデルにもなっていました。
それと「日仏混血」という言い方はこの当時普通でしたが、「モデルを開業して一年目」というのはちょっと違和感があります。「開業」って・・・個人事業主ということならわからないでもありませんが・・・。
このモデルになっている小井戸エマは私の好きなモデルの一人でした。あと小泉一十三も好きでした。
このページのトップへ移動 2012-07-10記

週刊新潮グラビア記事より
週刊新潮 1970年5月23日号より
万博で何を儲けた

会期を三分の一経過した大企業イメージ
5月10日現在入場者数270万人を突破し各グループの先頭を切る三菱未来館(35社参加)の弁は、
「ウチが一般に好評だったのは、未来という一つのテーマをわかりやすく特別な説明なしで理解してもらえたからでしょう。三菱のモットーはあなたの三菱、世界の三菱ということなんですが、正直、三菱はいままであなたの三菱というほど一般のかたには密着していない感がありましたが、今度はそのイメージがつかめたという点で、二十億円はかなり効果的な投資と思っています、とホクホク。
東芝IHI館の入場者数は75万人で三菱の四分の一程度だが、ソロバン勘定は十分合うとその内容を披露した。入場者一人あたりに一流劇場の観覧料程度の費用をかけて企業イメージをうえつけるということでテレビのコマーシャル料に比べれば割高になりますが、うちでは一人700円の計算で会期中に300万人収容を考えています。そうなれば投資は一応ペイする計算です。
・・・
もっともいずれの企業もただ出資額と観客動員数の関係でPR効果を測定しているわけではない。
・・・
松下館は約13億円、リコー館は10億円・・
キャノンは、富士グループの一員として数千万円の投資しかしていない。十億円あったらもっと省力投資をするなど、実をとりたいとハッキリ割り切っている。
・・・
企業によって万博にかける期待はこれほど相違があるのだから万博開催そのものにいまだに異論が絶えないのもまたあたりまえ。誰のための万博かと万博関連費用が1兆円ときいて??となってしまいます。
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週刊サンケイ 1970年6月15日号より
腕前はプロ並み あしたのジョー

伝説的な漫画「あしたのジョー」や「巨人の星」を読んでいたことはいたのですが、もう漫画に必至になる年齢ではありませんでした。どこかにも書きましたが漫画雑誌を持っている事自体が恥ずかしい時代だったように思います。ですから漫画映画になったといっても、毎週毎週追いかけるようには見ていなかったと思います。まして、舞台になったことなど全く知りませんでした。
東横劇場では6月3日から、新国劇、松竹提携公演「あしたのジョー」を上演するが、前景気がバカにいいようだ。
というのもこれまで、「サザエさん」をはじめ、人気マンガの舞台化はいろいろ試みられているが、そのほとんどは不入り。なかでも一昨年、東宝が芸術座で上演した「巨人の星」はマンガ、テレビの人気から推して、大入り確実といわれたが、いざ、フタをあけたら、客席は閑古鳥が鳴く毎日だった。
・・・・
これについて、関係者の話を総合すると、「巨人の星」を参考にして、宣伝対象を子供から高校生以上のおとなにしぼったこと、ドラマのヤマ場を演じるボクシング場面で、力石徹を演じる亀石征一郎は、かつての四回戦ボーイ、ジョーこと矢吹丈にふんする石橋正次は、この役がきまるや新和拳ジムで指導を受け、元東洋チャンピオン関光徳会長から「舞台が終わったらボクサーに転向しないか」と誘われるほどの腕前。こうしたおぜん立てが、どうやらマンガの舞台化不入りのジンクスを吹き飛ばしたようだ。
「巨人の星」などの例からかなり不安視された興業だったようですが、キップのさばきかたの工夫などでかなり前売りが売れたようです。このころといえば、大阪で万博の時。万博でさえそう浮かれた気分になっていなかったわけですから、芝居のほうまでは、というところだったのでしょうか。
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週刊サンケイ 1970年6月15日号より
ラーメン屋で開く異色ヌード展に集まった評判

アラーキーの記事が見つかりました。特集記事ではなく、色々な社会現象を扱ったところの数本の内の1本でした。当時から奇才であったことは確かです。
場末のストリップのような、ドロッとした感じのヌードだけを、執拗に写している男がいる。それがラーメン屋で写真展を開く。
この人、実績もあるレッキとした電通の社員。
名前は荒木経惟(あらきのぶよし)。昭和15年、東京・三輪に生まれこの五月に、三十歳になったばかり。昭和38年、千葉大の写真学科を卒業して、電通に入社した。
現在は、ある自動車会社のカレンダーを制作中で「写真部では中堅のバリバリ」(電通・畠山写真部長)として期待されている。
計画では6月6日から約一ヶ月間、東京・銀座の松屋デパートの近くにある「キッチンラーメン」という店に約三十枚の写真を並べるという。題して「シュール・センチメンタリズムの決定版 超二流の写真家と超二流の役者による写真劇”幾代春子の死”」・・・モデルの幾代昌子さんの母親・春子さんが死んだ。昌子さんにとって母親とはなんだったのか、日本の古典的なタイプの母親の影を、いやおうなく背負わされている娘の行為を写真構成した・・・といった解説を加えるともっともらしく聞こえるが、要するに三十枚のうちほとんどが女の裸というしだ。ただ、いまはやりのヌードのようにきれいな写真ではない。反対に、あぶらぎったドロドロしたものを感じさせる。
・・・・
この人写真界では、けっしてポッとでの新人ではない。1964年に、第一回太陽賞を受賞している。受賞作は「さっちん」という題のドキュメンタリーで、彼が学生時代に撮影したもの(受賞は電通入社後)
・・・・
「戦後、報道写真の全盛期が長く続いて、1960年代になって、広告写真がそれにとってかわりました。立木義浩、篠山紀信はその頂点で、これは”きれいであること”を絶対の命題としています。が、ここんとこ、その”おきれいムード”に反発してドロドロとした人間の情念を写しだなきゃーという空気は各所でうごめいています。荒木クンの試みはその突破口になるんじゃないかな」(桑原甲子雄氏)
写真家の経歴には全く興味がありませんが、荒木経惟は、電通だったわけですか。知りませんでした。面白い写真ではあるのですが、あまりに日常的で私にとっては、普通としか思わなかったということです。やはり”きれいな写真”がいいと感じています。(買う写真としてはです)。写真は手っ取り早く印象を操作できると思いますのでなかなか真実をうつすということは難しいわけで、ドキュメンタリーの写真というのはかなり難しくしんどい写真ということになると思います。
みていて楽しい写真のほうが、やはりあたりまえに私にとっては心地よりです。
このかたの写真集は買ったことはありません。
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週刊プレイボーイ 1970年7月28日号より
フェローMAX ssを名神高速で完全捕捉

70年は自家用車が身近に見えてきた頃でした。親も軽自動車なら月賦で買えるかとかそういう相談をするようになったものです。この号にはこんな記事がありました。
発表目前の公道高速テスト
70年の軽の”のび”は顕著なものがある。今年の1月から6月までの乗用車届け出台数を昨年と比較すると143.4%つまり昨年の約1.5倍である。
なかでも、今年の4月にモデルチェンジしたダイハツのフェローMAXがめざましい。
MAXが登場した4月は8343台翌5月には11325台になりこれはホンダの15801台に次ぐ第2位の成績なのである
MAXssは驚異的42馬力
ゼロヨン19秒台という。最高時速は業界の自主規制もあって120kmに抑えられよう。42馬力で120kmならば当然エンジンは余裕があるということになる。

軽自動車の高性能化がこの頃始まっていたわけです。40馬力当たり前の時代がやってきました。このころはホンダからまだZは出ていませんでした。N3が主流です。そして、ホンダからZの発表があり私は、ホンダを推しました。軽自動車らしからぬ外観が気に入ったわけです。水中メガネのような後ろの姿も新鮮でした。そしてホンダZ proを購入することになりました。
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週刊プレイボーイ 1970年7月28日号より
”猿”対”地下人間”の戦い!

「猿の惑星」当時のSF映画としては、「ミクロの決死圏」とともに私にとってはかなり壮大な思いにさせられた映画です。DVDになってからは見ていないのですが当時の懐かしい思いが少しだけ脳裏にひっかかっています。
続・猿の惑星
「猿の惑星」はSF映画の傑作として大好評だったのだが、この映画を企画を発表した時首をかしげる人が多かった、といわれるだけに、思いがけないヒットに驚いたのが、スタッフ一同。それだけに、この成功をむざむざ見逃してなるものかとばかり作ったのが「続・猿の惑星」。
前作はピエール・ブールの原作であったが、今回は全くのオリジナル・シナリオ。それだけにストーリーのほうも大分苦心したらしく前作のラストシーンから始まったり、登場人物も猿だけでなく地下人間を考案している。
・・・・
この映画の最大の山場は猿の大軍と地下人間の戦い。猿の軍隊が”物量作戦”で行けば、地下人間は”心理作戦”で迎えるなど、まさにSFならではの奇想天外なアィディア。・・・・
それにしても日本のSF映画といえば、子供が喜ぶ怪獣ものぐら。月旅行をした国のレベルに達するのはまだまだ遠いようで。

続・・・・のほうは、見に行ってないのかな。「猿の惑星」のみ行きました。あとの続・・・・続は一つも見ていない。いつかビデオとかDVDで見たいものです。
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週刊プレイボーイ 1970年9月1日号より
WEEK END 招待席

懐かしい記事がありました。このころは私も10代20代の主人公のテレビを同世代として見ていました。
10月からTBSで「奥様は18歳」12チャンネルで「おさな妻」が放送される。どちらも高校生妻をあつかったもの。「奥様は18歳」は高校三年の妻が、高校教師を夫にもち、セックスと学園生活をエンジョイするという物語。
セックスと学園生活?そんなセックスを直接、間接的に描いた個所があったのでしょうか。この辺は覚えていません。
主役はプロマイド売れ行きNo.1といわれる岡崎友紀。「おさな妻」は16歳の高校生が主人公で、扮するのは新人の麻田ルミ。どちらもキワモノ企画であることは間違いないが、TBSのスタッフは、セックスムードが強いが、「青い山脈」の現代版にして健全ムードでいくともっぱら逃げの一手である。
「おさな妻」と聞くと、関根恵子を思い出してしまうのですが、あの可愛い麻田ルミがTVでやったのですね。これも見た記憶はないかな。というか12チャンネルというとテレビ東京。大阪テレビってもうあったのかなぁ?このころの関西版のTVガイドが欲しいものです。
週刊新潮 1970年9月26日号より
巨人軍七つの大罪

目下、解説者の金田正一がこういっている。
「最近の巨人の試合はおもしろくない。ヤクルト、広島、中日が相手だと、結果がいつも決まっている。途中で波乱はあっても最後は巨人の勝ち。毎度同じ脚本じゃ、うんざり。」
巨人OBの金田でさえ、こうなのだから、アンチ巨人ファンは大あくびの連続である。
セ・リーグをつまらなくしている最大の原因は川上野球の行き詰まり。以下はプロ野球諸悪の根元、川上巨人軍の七つの大罪である。
第一は、王者らしからぬ弱いものいじめ。村山阪神、別当大洋には滅法弱い癖に、下位チームあいてだと、ネチネチといじめ抜く。
その勝ち方もミミッチイが、プロ野球、ただ勝てばいいというものでもあるまい。第二は、川上式投手起用の失敗。藤田を二軍に落としてからは、イエスマン中尾をピッチングコーチにすえ、実際は自らが投手陣を指導。その結果九月に入ってからは先発投手連続11試合KOという不名誉な記録を作った。・・・・
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昭和の時代を見るために参考になる図書を紹介します 昭和の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 平成の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 10年ごとの年代の年表です

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