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1992年(平成4年)の出来事について

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週刊プレイボーイ 1992年7月21日号より
「シュピーゲル」から世界を見ると・・・家電業界で日本神話が崩れた!?

ソニーといえば、昭和から、トリニトロン、カセット、Lカセット、ウォークマン、CD、MD、DAT、ベータと色々なものを送り出してきていますが今や、懐かしい物ばかりなのです。いま思うと残りそうなのは、CDのみという寂しいことになっています。この平成4年に、こういう記事が出ていました。
ソニーの社長・大賀典雄氏はザルツブルクをひんぱんに訪れる。10年前、彼はそこでヘルベルト・フォン・カラヤンのCDを製作した。これは全世界で2億枚を売り上げたが、今度はそれのMD(ミニディスク)版を発売して2匹目のどじょうを狙おうというわけだ。
ソニーにとってMDの成功は不可欠である。なぜならソニーの号席が低迷し始めているからだ。昨年度のソニーの売り上げ伸び率はたった5.7%。税引き前利益は27%も減少してしまった。
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ただし、このような状況はソニーに限ったことではに。ここ20年、より新しく安い製品で欧米市場に君臨してきた日本の大手家電メーカーが軒並み業績悪化に苦しんでいるのだ。
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日本と欧米のもっとも近い戦いはハイファイ電子機械市場で起こるだろう。ソニーのMDシステムに対抗してフィリップスがデジタル・オーディオカセットシステムを開発したのだ。今、競合メーカーはこの2社のいずれかと共同戦線をはろうとやっきになっている。
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この、MDは私が見る限りヒット商品というほどもなくもちろん、音楽をMDで提供するという狙いは、簡単についえてしまいましたし、誰もがMDウォークマンを持っていると言うほどにMDは普及していないのではと思います。
私は、なぜかMD1号機を買ったのですが、如何せんウォークマンというには、CDプレイヤーの厚みよりも2倍くらいある物でした。性能は良かったのですが大きくて重かったので、とっても持って歩くという気にはなりませんでした。もちろん、バッテリーも異常にでかかったわけです。
そして、MDの全てが未消化のまま簡単にiPODに移っていくとは皮肉なものです。私は、メモリーウォークマンは買いました。
それにもまして悲惨だったのはデジタル・オーディオカセットでした。ほとんど陽もあたらぬままに、消えていったようです。
これからも、ずっとiPOD時代が続くとも思えませんがあと、2年くらいは、続くのかなとか、素人予測しています。
週刊プレイボーイ 1992年8月11日号より
超強力セクシー・デュオ”W-NAO”!

二人の直子の歌手デビューが囲み記事で載っています。飯島直子は、日曜日のビートたけしの番組に出ていたような記憶。網浜直子は、・・・です。
網浜直子・飯島直子のふたりのセクシー・ギャルによるパフォーマンス・ユニット”W-NAO”のデビューアルバム&ビデオ・クリップがテイチクから同時発売。タイトルはアルバム&ビデオともにユニット名と同じ「W-NAO」。
今年3月にシングル曲「孤独のRunaway」でデビュー以来、ふたりが取り上げるのはB'sのオリジナル曲ばかり。今回のアルバムとビデオでも全曲新旧を取り混ぜたB’sのナンバーを収録している。
アイドルを起用した単なる企画もののユニットかと思う人も多いかも知れないが、意外とはまってるんですよ。ビジュアル的なことはもちろんだが、肝心のボーカルでも網浜の高音と飯島の低音がこぎみよくて、コーラスもなかなかのもの。
また、マイアミで撮影されたビデオでは革ジャンの下に黒いブラジャーだけというセクシーな姿もみせてくれているから、こちらも一見の価値あり、だ。
中古レコードCD店で、シングルCDを探していると、このデュオではありませんが、この人たち何?というようなCDが出てきます。聴いた事も見た事もないCDジャケット、曲ですがたまには買ってみるかと、面白さが先に立って買ったりした事もあります。まあ、105円ならイイかということです。
フラッシュ 1992年8月11日号より
写写丸クイズ 私はダレでしょう?


HINT 引退した元祖アイドルで現篠山紀信夫人。芸名シンシアで14年ぶりにカムバック
一部ファンの方からは熱狂的支持(もちろん私もですが)を得たのですが、わずかなカムバック期間でまたも引退。残念で残念でなりませんでした。このとき彼女はまだ30代、もし今ならアラフォーであり、その輝きも当時より、もっと素晴らしく光って活躍されたのではないかと思うと、またも残念で残念で・・・
週刊宝石 1992年9月10日号よりnew
セクシーアイドルは空手初段!
アイドルもタフでなければ生きていけない?
空手で迫るスーパー・モンキーズ

なに、「スーパー・モンキーズ」!? さては、日光猿軍団の商売敵か・・・。ところが、実際に会った「スーパー・モンキーズ」は、ご覧のようなキュートな5人娘だった。歌って踊ってのアイドル。平均年齢15.8歳。でも、かわいい花には”トゲ”があったのである。
「私たち全員、空手(少林流妙武館)初段で〜す」
と言うなり、空手の型をビシッとキメたり、高々と前蹴りを蹴りあげたり、その気迫に本誌記者もタジタジ。
「グループの特色を出すためと、踊りのキレを増すために、空手を始めたんです」
毎日、朝・晩2時間ずつのみっちりした稽古を続け、かくのごとき腕前になったのだとか。5人とも、生粋の”沖縄っ子”。子供のころから、アメリカンポップスを聴いて育ったというだけあって、本業の実力も折り紙付き。でも、なんで「モンキーズ」なの?
「よく(猿のグループかと)間違われるんですよ。私たちが沖縄で通っていたタレントスクールの校長先生が「お前たちはタレントではなく猿(モンキー)の段階。でも、ただの猿(モンキー)ではかわいそうだから”スーパー・モンキーズ”にしよう」とつけて下さった名前なんです。最初はちょっと抵抗があったんですけど(笑)、いまではとても気に入ってます。」
9月16日にはデビュー曲が発売され、早くもCMに引っぱりだこ。今年一番の注目株は”沖縄猿軍団”だぞ。
何故か、真ん中の子が空手着を着ているからか、谷亮子に似ていると思います。デビュー前の雑誌のモノクログラビア記事です。
グループの名は載っていても、個人名は”まだまだ載せなくていいよ”というアイドルグループの一つだったわけです。
大阪でも、当時たまにテレビの関西ローカルワイドショーに歌のコーナーで踊って歌っているのを見かけたことがあります。
しかし、印象はあまりなくて、空手をやっていたとはこの記事で初めて知りました。
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2013-08-30記
週刊宝石1992年9月10日号より
週刊宝石1992年9月10日号より
1990 1991 1992 1993 1994
(青い文字は、雑誌本文記事です)
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