懐かしい事各年一覧へ
1977年(昭和52年)の出来事について

1977-01 1977-02 1977-03 1977-04 1977-05 1977-06
1977-07 1977-08 1977-09 1977-10 1977-11 1977-12

平凡パンチ 1977年1月31日号より
不滅のグループサウンズ ヒット7

今週のパンチには、2色刷特集で、グループサウンズの曲7曲が載っています。この当時で、あのブームから10年たっていますが、当時もうGSといえば冷めてしまっていたと思います。CDで今は沢山出ていますが、レコードがそれほど出ていたように思えません。私の音楽特に歌謡曲への思いは、下がりまくりだったのかも分かりませんが・・・・
青春賛歌
プレスリー、ビートルズ、ベイシティーとそれぞれの青春を華やかに彩る思い出の曲が多くある。”GS”この新しい言葉の響きに若き胸の血をおどらせた世代もある。
”ジャパニーズ・ポップス”の夜明けを飾ったG・Sが、最近また、新しい歌として再評価され、流行の兆しをみせてきている。
(楽譜・歌詞)
エメラルドの伝説     ザ・テンプターズ
夕陽が泣いている    ザ・スパイダース
長い髪の少女      ザ・ゴールデン・カップス
想い出の渚        ザ・ワイルドワンズ
いつまでもいつまでも  ザ・サベージ
君に会いたい       ザ・ジャガーズ
好きさ好きさ好きさ    ザ・カーナビーツ
こうしてみると、壮観な光景です。この7組といえば今もCDが出ているわけですがよくぞ40年も・・・・
しかし、タイガース(いやザ・タイガースかも)が載っていないのはちょっと寂しい。わざとなのかな?
しかし、本当に流行りだしたのでしょうか。働きだしたころですが、そんなことは無かったように思うのですが。シンシアの引退のころということですが?  
週刊新潮 1977年02月10日号よりnew
篠山紀信夫妻 離婚の傷口

日本万国博覧会の翌年に「11PM」などでおなじみだったジューン・アダムスと結婚した篠山紀信は、子供をもうけたがいつのまにか破局をしていました。その頃のニュースが週刊新潮に載っていました。
ここに南沙織がかかわっていたのかどうかは分かりませんが(南沙織のレコードジャケットの多くは篠山紀信撮影であった)私としては、なんとなく「におう」なという感じでした。
ひそかに始まり、ひそかに終わった結婚生活。「別れても、いい友達同士でいるつもりですよ」の談話−−有名人の結婚のひとつの典型かもしれない。カメラマンの篠山紀信とトップモデルだったジューン・アダムスの結婚が騒がれたのは昭和四十六年の晩秋。終止符がうたれたのは、昨年の暮れだった。
・・・・・
離婚届が出されたのは十二月二十七日。たまたまその日仕事で同席したある編集者によれば、「篠山さんはふだんからプライベートなことは全く話さないんで、あの日もいつもと変わらなかったなあ。夜は銀座でジャンスカ飲みましたけれどね」
昨年四月に麻布に三階建ての住居を新築したばかり。夫は家庭における自分の役割を、 「土台や外側を固め、家をつくること」と考えていたが、妻は、「子供たちを動物園に連れて行ってほしい」と望んでいた。四歳と三歳の二人の娘は、妻が育てることになるという。

家も建て、子供も居て順風満帆の彼ではなかったのでしょうか。人それぞれに人生があり仕事一筋が決定的に家庭を破壊することもありうるわけでした。
離婚し少し時間をおいた後に南沙織との結婚報道があるわけですが、泣いたシンシアファンがそれこそどれだけいたのでしょうか。
私も、シンシアへの思い入れはほとんどなくなっていた頃ですが、少しはショックであった出来事です。


(週刊新潮1977年2月10日号より)
週刊現代 1977年11月10日号より
平塚らいてうの孫娘というヌード女優の”祖母の教え”

この現代の記事にある日劇ミュウージックホールは、もう今となっては伝説のヌードレビュー劇場です。もちろん私は入ったことはありません。というか、大阪では、OSミュージックという劇場があったのですが、昭和44年でしたか、無くなっていると思います。
故佐田啓二の娘中井貴恵や若原一郎の娘、若原瞳なd芸能界は最近”二世ばやり”だが、今度は日劇ミュージックホールに炎美可(25歳)という新人が現れた。が、彼女は何と女性解放運動の創始者、平塚らいてうの孫娘というから驚き。
本名を築添美可といい、都立国立高校卒業後、アングラ劇団「黄金劇場」に所属。ヌードのデビューは今年三月とか。今度の十一月、十二月公演「セクシービーナスの宴」ではバスト86センチ、ヒップ87センチの豊かな肢体を、惜しげもなく披露している。
「歌もかなりうまいんです。今後日劇ミュージックのホープになると期待しています。(東宝芸能)」と評判も良く、本人も「ハッキリいってお金のためです。本当はらいてうの孫ということを隠しておきたかったんですが、祖母には”自由に、力一杯やりたいことをやるように”と教えられましたし、今は一生懸命やるだけです。」
あまりに、大人の劇場での出来事ですし、週刊現代のスポットの囲み記事ですから、詳しくはありません。なんとなく、珍しいので取り上げてみました。
1975 1976 1977 1978 1979
(青い文字は、雑誌本文記事です)
懐かしい事各年一覧へ
昭和の時代を見るために参考になる図書を紹介します 昭和の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 平成の雑誌を主に載せています。男性誌が多いです 10年ごとの年代の年表です

元のページへ戻る HOME