1975年(昭和50年)の出来事について

1975-01 1975-02 1975-03 1975-04 1975-05 1975-06
1975-07 1975-08 1975-09 1975-10 1975-11 1975-12

週刊読売 1975年2月1日号より
濃厚ラブシーンにくやしがるNHK

演技派としての地位が確立している大竹しのぶですが、私は彼女の映画を見た事はありません。どちらかといえば明石屋さんまの妻であったという事の方がよく知っているとなるのですが・・・
「こんなはずではなかったに」とNHKをくやしがらせているのは、この四月から始まるテレビ小説「水色の時」のヒロインに決まった新人・大竹しのぶ。
何しろ、NHKのテレビ小説といえば、”時計がわり”の悪評はあるものの、高視聴率をもつ看板番組。そのヒロインは、ほとんど新人ながら、今風に表現するならば”クリーン”であることが絶対条件であった。
この大竹、都立高校二年生で、確かに新人だが、テレビより一足お先に東宝が五木寛之原作の映画「青春の門」でバストを丸出しにした濃厚なラブシーンを演じてしまったのだ。で、NHKは計算が狂ったと大むくれという次第。
もっともこの大竹、昨年暮れ、スリップ姿になった時も大騒ぎになった、女優がスリップ姿になったところで、別にどうってことはないはずだが、ことNHKだけは別らしく、なにやら驚きともいや味ともつかぬスタッフのコメントが出たものだが・・・・・
さて、この”問題女優”、NHKがどう”料理”するか、みものである。

今でも清純派はラブシーンだのヌードだのを見せては行けないのかも知れませんが、ヌード寸前の女性方は沢山いるわけで30年前のいきさつは、女優に清楚端麗をもとめたわけです。
その対極としてのにっかつロマンポルノがあったのでしょう。
週刊読売 1975年2月8日号より
読めますか

今週は、みんなあなた自身、つまり、あなたの「人体美学」です。45問中40問できたら、あなたは優秀か、40歳以上のトシヨリにきまっています。30問できれば、日本人としてまあまあです。同じ読みのものもあります。
あまり、懐かしい事とは関係ありませんが、いつでも定番のクイズは、難読漢字や地名クイズ、人名クイズであるとおもうので、読売のクイズを載せたいと思います。(出題は「永石鯨波+X」)

解答は、下記です。

01-ひじ  02--ひとみ  03--もも  04--びん  05--あご 06--しり  07--かかと・くびす  08--すね  09--また
10--えくぼ  11--ひざ  12--しわ  13--ひじ  14--くるぶし  15--まぶた  16--あご  17--まなじり  18--すね
19--わき  20--くび  21--こぶし  22--くちびる  23--あご・おとがい  24--へそ  25--ひとみ   26--うなじ   27--また・もも
28--こむら  29--まゆ  30--たなごころ  31--ほお  32--いぼ  33--あざ   34--ひげ(あごひげ) 35--ひげ(くちひげ) 36--ひげ(ほおひげ)
37--こめかみ  38--ふくらはぎ  39--にきび  40--みずおち  41--こめかみ  42--ほくろ  43--たこ  44--みみたぶ  45--まめ
2013-08-23記

サンデー毎日 1975年3月9日号より
ザ・ピーナッツ 突如引退の真相

ザ・ピーナッツの歌は、「恋のバカンス」「恋のフーガ」ととりあえずは好きでした。沢田研二といい仲だとか色々な噂が立っていましたが本当に、急にやめますということだったように記憶していますが・・・・
2月28日突然引退を声明したザ・ピーナッツ。まだ現役のスター歌手が、こうも「きれいさっぱり」辞めるのははじめてのケースだが、なにが彼女たちを十七年間の歌手生活と別れさせたのだろうか。
落ち目になっても、妻子のため、親のため、プロダクションのため・・・と、なかなか引退出来ないのが歌手稼業。かつては栄光の座にあっても、今はマスコミにほとんど登場せず、ドサ回り−−−こんな歌手も大勢いる中にあって、確かにこの一卵性双生児の正式引退発表は彼女らがいうように”かっこいい”といえる。
「もう二、三年前から、引退しようと考えていたのです」とジメジメしたところがあまりない。
では、その引退の理由は何か−−−。彼女たちは記者会見で、「引退の理由は、もしかしたら、本人にしかわからないことかもしれません」と語った。

双子歌手の元祖という位置にあり、まだまだ活躍できる時間があるのに引退とはということなのですが、実は裏には二人の幸せ、愛や恋がからんでいそうという結論です。
また、最後のほうには
おつぎは14歳の双生児デビュー
名古屋出身の、日本ポップス歌謡の草分けは普通の女にもどり、渡辺プロは、五月末には北海道出身の十四歳の双生児を大々的にデビューさせる。
ピーナッツの眼にはどう映るだろうか。
迫り来る「リリーズ」の誕生をにおわせて終わっています。
平凡パンチ 1975年4月14日号より
”スケ番”杉本美樹・・・ドロンと共演?
==六月はパリに・・・・・ただ今、語学の勉強中・・・・・

アラン・ドロンといえば、今や日本女性たちのあこがれのマト。そのドロンが、日本女優を名ざしで共演を申し込んでいるとか。その女優とは?なんとポルノ女優の杉本美樹!!彼女はどこでドロンに目をつけられたのか。<女番長(スケバン)シリーズ>で鳴らした杉本、まさかドロンの前で仁義を切ったわけじゃ・・・・?
* アラン・ドロンの現在の愛人は、映画通ならずとも知っている、「愛人関係」で共演したあのミレーユ・ダルク。彼は映画で共演した女優はたいていモノにしてしまうという男。そのドロンが、日本に美人女優がいないわけでもないのに、スケバン美樹になぜ目をつけたのか?美樹のどこにドロンの食欲をそそる魅力があったのか?意外や意外という気がしなくもない。
にっかつロマンポルノよりも早く、裸路線であった東映の若手女優さんですが、こんな話があったとはこのパンチを読むまで全く知りませんでした。(当時このパンチを買っていたので、読んでいても忘れていたのかも・・・)
池玲子と杉本美樹といえば2大巨頭。70年代初期に男性向けの雑誌にはよくグラビアが出ていました。その杉本美樹がドロンと共演?!
実はこの話、三船敏郎の口から出た。
「ドロンとうちの社長三船は大の仲良しで、ドロンの情報はすぐに入ってくるんですよ」
と言うのは、「三船プロダクション」のA氏。
三船プロが制作し、四月六日からスタートする<長崎犯科帖>(万屋錦之助主演、日本テレビ系)に、杉本美樹は一年二か月ぶりにカムバックしてレギュラー出演するが、その件で三船と錦之助が顔を合わせたとき、
「杉本美樹の名が出て、三船が”彼女、ドロンと共演するよ”と言うんです。それでみんなビックリしちゃって」(A氏)
というのが、ドロン、美樹共演説が流れたプロセス。
もう一つの裏付けは、二月末に、ドロン主演の映画「ボルサリーノ2」の有料試写会で、
「来日していた、この映画のスタッフが、会場の美樹に目をつけたらしい」(A氏)
偶然に美樹が、試写会を見に来てとみるより、ドロンの意図がすでにあって、美樹が試写に呼ばれた、と考えるほうが自然。
また、三船がそれを知っていたというのは、直接ドロンが電話してきたのだろう。この試写以前に、ドロンが美樹を見ている可能性は充分ありうる。
このあたりは憶測なのか、ちょい出しの宣伝なのかわからないですが、裏でのやりとりという感じです。
「私、パリの新聞の一面に写真がのったのよ」(杉本美樹)
実は彼女が東映にいるころ、<女番長シリーズ>に主演しているが、この映画がパリで上演され、大評判。それで、新聞に載ったのだろうが、
「女のコが仁義を切ったり、髪をふり乱して格闘したり、リンチをやったり、ナイフを持って決闘したり、そんなところが珍しかったんじゃないの、だけど私共演の話なんか聞いていないわよ、もしホントだったら、おそれおおくて」(美樹)
と言いながら、彼女、ちょっと口をすべらした。
杉本美樹は、ナイスボディで、池玲子は、ちょっと胸おかしいのではないかと思うくらいのボディであり、どちらかといえば池の方が美人だったと思います。そして「番長・・・」で活躍していたころは二人とも若くて(今では絶対出演無理な年齢だと思う)素晴らしかったと思います。(実は映画は見ていませんでした、今現在も見たことがないのですが・・・)
「私、六月はずっとヨーロッパにいるの」
これが映画撮影でないとはいえない。それを裏づけるように美樹は、昨年の二月から、東京・目黒のロゴス英語学校に通って勉強中。
ドロンは世界的大スター、美樹には悪いがランクが違いすぎる。だからといって、この話まんざらデマともいえまい。もしドロンと美樹が共演したアカツキには、かつての共演女優たちと同じように、彼女もまた、ドロンの女になるのかな?(記事終了)
この記事だけを読むと、「美樹には悪いがランクが違いすぎる。」が正解で、ありえない話。AV女優とハリウッドの大スターが共演というくらい吃驚仰天する話です。
本当に、共演したのかどうか?wikiで調べなくては。2012-09-25記

週刊朝日 1975年5月2日号より
「百恵が脱ぐ」のはもういい

私は、山口百恵の映画を全く見たことはありません。とにかく南沙織以降デビュー組のかたたちにあまり興味を示さなかったように思います。
ゴールデンウィークの話題にしようと宣伝マンが躍起になっているのが、山口百恵と桜田淳子のピンク度競争だ。「潮騒」VS「スプーン一杯の幸せ」−−。・・あなたが望むなら「青い果実」。・・口づけのそのあとで、「はじめての出来事」。
歌の面では”口づけ”までを限界の桜田が山口に一歩リードされた形。ところが前作「伊豆の踊子」で騒がれたにしては大したことなく、こんどの「潮騒」でも「原作のイメージを尊重するためにも脱いでいる実感がほしい」(西河克己監督)の注文をよそに、またしても前宣伝だけでだました山口に対し、桜田は逆に「脱ぐ」と騒がないで実をとっている。「彼女のムードに合わせてあくまで健康的に」と、最初台本にあった着替えのためスリップ一枚に なるシーンを本番でカットするほど気を使った松竹が”露出限度”で着せたのが、太ももまでのバドミントンルック。画面ではとびまわるうちにスカートの下から・・・と思わぬ効果で「かえって可愛らしいお色気」と評判。
「百恵が脱ぎます」と、宣伝するだけでは、このところ好調の淳子さんに抜かれても当然。ファンは、見るところはちゃんと見ておりますゾ。
当時、そういう二人の間に脱ぐ脱がないの争いがあったとは全く知らなかったし、またあまり二人に興味も持っていなかったのですけれど、GOROだったかに、百恵ちゃんのヌード風が載ったのは結構衝撃だったことは覚えています。桜田淳子ちゃんに関しては、特にという感じですね。
週刊文春 1975年5月21日号より
新人歌手「原子力」クンの爆発的ヒット

新人歌手の芸名には、関係者も知恵をしぼるもの。このほど東芝から、原子力(25)という新人がデビューした。
ハラコツトムと読むそうだが、この原子力クン、経歴がなかなかエネルギッシュ。
青森県の高校を卒業して上京し、しばらく歌手修業をつんだが芽が出ず、ついに両親のいる三重県の津へひっこんだ、というところまではよくある話。しかし、やはり歌手への夢たちがたく、家業を手伝いながらカネをためて、昨年暮れにレコード「女のいのち」を自費で製作。名古屋を手はじめに各地を自分一人でセールス行脚して、ついに六千枚も売りさばいてしまったのだ。
「殿キンの『なみだの操』と、西川峰子の『あなたにあげる』のアイノコふう」(音楽記者)の演歌だが、名古屋地区の有線放送ではリクエスト急増。さる3月に津の文化会館(千六百名収容)でリサイタルを開けば満員で、「いまや地元ではスター歌手なみの人気」だそうだ。
この人気に目をつけた東芝から、タイトルを「貴男がいのち」に改題してデビューすることになったわけ。「同じ原子力でも、いまだに自力航行のメドもたたない『むつ』とはワケがちがう」(東芝)そうだが、「むつ」もへんなひきあいに出されたものだ。
芸名ですからどうつけようといいわけですが、「原子力」とは、ちょっとおかしいかなと思います。このころは、原子力推進の広告が週刊誌にも載せられていた時代ですから、話題取りにはいいのかと思います。
現在だと、賛否両論それこそ、ネット炎上ということになるでしょうけれど、発売がと「東芝」だから、有りでしょうか・・・。
それにしても当時の私はこの話題全く知りませんでした。2013-11-16記


週刊明星 1975年8月10日号より
ハダカはつけ足し、「芸」を見て!!
2年ぶりの本領発揮 田中真理

田中真理といえば、日活ロマン・ポルノ女優のなかでも”理論派”として知られた存在。
48年の「女子大生SEX方程式」に出て以来、テレビドラマにでるくらいで、ハダカはとんとごぶさた。「ポルノはもういいや」「日活にホサれてる」などと取りざたされていたものだが、この9、10月、日劇ミュージックホールの「ニンフェットは蜜がお好き」に初出演することになった。
彼女がでるのは第1部で、題して”田中真理スペシャルコーナー”「管野すが・夢のまた夢・エロスの涙」
もちろん明治44年、テロ計画により、30歳の女盛りで死刑になった管野すがの激しい生涯を現代の田中の生きざまとダブらせて描こうというものだが、作・演出に彼女の愛人といわれる日活の山口清一監督をきようするあたり、東宝のプロデューサー氏の芸も細かい。
「日活は、去年いっぱいで円満退社。これからは思い切って仕事をするつもり。管野すがは前からやってみたいと思っていた作品なの。でも日劇ミュージックでこういう作品がやれるなんて思ってもいなかっただけに、とってもうれしい」
舞台をみて、その明るさ、健康さにびっくりしたという。
「管野すがは、絶えず世の中に怒りをぶつけていた女」と語るあたり、ポルノ裁判に敢然と挑戦し、自分が不起訴になったことさえくやしがった田中の面目躍如である。
とはいっても、ファンが見たいのは、2年ぶりのヌード。
「激しいファックシーンもあります」そうだが、当の田中は「現在の私のサイズ?もう忘れたなあ。2年前にはかったきりですもの」と、あくまでハダカよりテーマ・・・・のつもりらしい。(記事終了)
どちらかといえば、田中真理は、「サインはV」での印象しかありません。日活ロマン・ポルノを当時は見たことがなかったので、週刊誌等に載った彼女の裸体はしっていますが演技している裸体は全く印象に無いわけです。
こちら大阪に日劇ミュージックホールのような大人のダンスを見せてくれる劇場があり田中真理が出演するというのなら見に行っていたかも知れません。
それに、「管野すが」自体勉強不足(明治維新・・大正・・昭和は試験にでないということで高校では端折りました)で私は知らないので、歴史の闘士をエロスにできるのかと思います。 2013-09-03記


GORO 1975年9月25日号よりnew
アイドル診断
木之内みどり
ひたむきで、爽やかなイメージがうける
      いまだ成熟しきらない青い果実・・・・・18歳
どんなに忙しくても、つらくても 毎日、毎日を力いっぱい歌い続けたい。 後悔なんて絶対したくないから。

「あだなは、いつもチワワとかもやしなの・・・・」
透きとおるように白く、キメの細かい肌。風に揺れる細い髪。
「ガリガリでしょ? 水着になるのがいちばん恥ずかしいの」
初恋。同級生を男として意識したのが中学3年生。でも・・・。
「まだ、オンナとして自分をかんがえることってほとんどない」
あこがれは、ニヒルで優しい大人の男。田村正和が好み。
「軽薄な男って大嫌い。セックス? セックスは愛だと思う」
北海道の小樽で育つ。海が好き。今年も何回か泳ぎに行った。
「南の陽気な海もいいけど、私は北海道の暗く沈んだ冬の海が好き」
タレント”木之内みどり”が18歳の女の子に戻る時に思うことは・・・。
「タレントは行動の全てが興味の的でしょ。ひとりっきりで旅をしてみたい」
9人きょうだいの末っ子。現在事務所の社長宅に居候。明大中野高校定時制2年在学中。
「定時制って、みんな精一杯生きているのよ。人間の匂いが感じられるわ」
「勉強するのも青春なら、芸能界で生きてみるのもひとつの青春でしょ」
あるTV局でミス・ティーンに選ばれたことがきっかけになり
「気づいたら歌手への道が開いていた。いまは全力を出すだけ」
昨年5月がデビュー。あっという間にアイドルになった。
「結婚して、子どもが生まれたら、お母さんはね、昔、こんな
ことをしてたのよって、写真を見せながら話してあげたいの。
あとで後悔するような生き方はしたくない」
本名も木之内みどり。 162  42  76  57  83
なかなかのインタビューですが、お母さんはお子さんに自分の歴史を語れるのでしょうか。
爽やか路線からどろどろ路線まで突っ走って今は個性派俳優さんの奥さんですが、全く露出がないのは、百恵ちゃんといっしょで偉いところです。
そして驚くことは嘘か真はわかりませんが、162の次42とあり、おそらく体重?でしょう。今じゃプロフィールに体重は絶対に載せないですから。お笑い女性芸人さんのダイエット企画でもない限り。
2014-02-18記


週刊読売 1975年11月22日号より
モテモテの布施明君

布施明といえば、私が一番印象に残っているのは、やはり「青春とはなんだ」の主題歌(?)の歌詞で、「おおきなそらにはしごをかけて・・・・」というものですが、他にホイホイミュージックスクール、オリビア・ハッセーとの結婚とかがあります。そして、「シクラメンのかほり」の大ヒットでの記事が書かれています。
音楽賞総ナメの「シクラメンのかほり」残る二つの大賞もほぼ手中? 「真綿色したシクラメンほどすがしいものはない・・・」この歌詞を知らない人、いっちゃ悪いがオクレてる。
「シクラメンのかほり」という布施明の歌だ。
これが売れていて、公称97万枚。歌手生活11年間の記録になった。
すでに、ゴールデンアロー賞、横浜音楽賞などいくつかも賞をとり、これから年末にかけて決まる、歌謡大賞、レコード大賞まで、手中にしたような勢いだ。
「どうもボクのレコードは売れなくって・・」と、いつも自嘲気味にいっていた彼も、これでかなりスナオになった。
  流行歌ファンとしては、表に出てこられた(ランキング)ことのみが、記憶に残っているということで、そうそうヒットしたと思いました。
持っている「オリコンNo.1.ヒット500」によりますと、105万枚うれて昭和50年5月19日にはオリコン1位になっています。この時は、2位が「昭和枯れすすき」3位が「哀しみの終わるとき」でした。
平凡パンチ 1975年12月29日号より
年末年始の催し物情報

1975年末から76年年始の、イベント情報ですが、芸能関係を少し載せてみます。
12月21日(日)
  上田正樹とサウス・トゥ・サウス&メンタンピン 高知・中村市
  アリス 広島郵便貯金ホール
  南こうせつ 神奈川県立音楽堂
  ニニ・ロッソ 大阪フェスティバルホール
  ポール・モーリア楽団 札幌厚生年金会館
12月22日(月)
  ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 山口市民会館
  泉谷しげる 神田共立講堂
  荒木一郎 東京・六本木
  寺内タケシ 金沢観光会館
12月23日(火)
  高木麻早リサイタル 東京芝郵便貯金ホール
  ライブ!アクト・チューリップ 中野サンプラザ
  紙ふうせんコンサート 目黒公会堂
12月24日(水)
  みなみらんぼうクリスマスコンサート 東京厚生年金会館
12月25日(木)
  中村雅俊 大阪厚生年金会館
  バンバンとクリスマス 大阪サンケイホール
  高山巌 大阪サンケイホール
12月26日(金)
  ソビエト名画祭 富山市公会堂
12月27日(土)
  長谷川きよしフリーコンサート 青山タワー・ホール
  海援隊リサイタル75 大阪サンケイホール
12月28日(日)
  りりィ・コンサート 大阪サンケイホール
12月29日(月)
  高石ともやとナターシャセブン 大阪サンケイホール
01月07日(水)
  紙ふうせんニュー・イヤーコンサート 大阪サンケイホール
  五つの赤い風船75リサイタル 大阪厚生年金会館
・・・
このころの、パンチやプレイボーイといえば、歌謡曲は無視だったようですね。グラビアは歌謡曲の方をバンバン載せていたようですが、肝心のコンサートとかなると全く載っていません。平凡や明星の分野だったからかも知れません。
1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1977
(青い文字は、雑誌本文記事です)