オトフォの思いつき雑記帳 2007年


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2007年2月17日(土)
古本屋で、なんとS51年代のGOROを数冊発見。その中に、シンシアが表紙のGOROもあった。グラビアとしては持っているが、本誌として持っていないので即購入。価格もまあまあであったので、ラッキーである。ゴローを置いているところはあるのだけれど、これまで南沙織を見た事はなかった。ここにあるとは本当に驚き。どなたかが売りに出されたのだと思うけれど、店主さんのもっとあったんだけれど売れたよという言葉をきいてザンネン。

2007年2月27日(火)
もうずいぶん前に思ったことだけれど、週刊プレイボーイは、1989年1月の発行も昭和64年1月と記していた。そして、平成表記にすんなりと変わっていったが、今はなきフォーカスは違っていた。それまで昭和63年できたのだが、天皇陛下の病状が思わしくないと報道されると臆面もなく西暦表記1988年に変えた。次の元号がわからないから、いつ亡くなるかわからないからだと思うが、あれほど世に怖いものがないという感じに噛みついた週刊誌がこのざまということだ。
そして、その後も西暦表示をつづけるなら、これはこれでいいのだが、平成に変わるときっちり平成元年・・月とやっているのには驚いた。もう、廃刊になっているからどうしようもないが、やはり廃刊になるだけあるのかな?と、単純に年号の表し方を見てもその出版社の姿勢はわかるものだ。集英社えらい。私見であります。

2007年3月4日(日)
平凡パンチの表紙を見ていて気づいたのだけれど、1983年の5月から20周年記念になっているのだが、パンチは1964年創刊だから通常は実年数で20年たっていたら20周年ではないのかと思う。1年先走りで、周年記念をするのはどうかと思うのですが・・・・
まあ、廃刊になったままの雑誌をどうこういうことはないのですが、プレイボーイだと1966年創刊だから去年40周年記念をやっていたし、週刊新潮も56年創刊ゆえ去年50周年記念をしていた。創刊まる9年で10周年記念をするところは、ないし・・・
一度、なぜ19年目に20周年記念をしたのか聞きたいところです。
この頃は、もう結構パンチはしんどかったのでは、この後表紙を変えたし内容も本当に女性抜きになってしまったし(また戻しましたが)いろいろな変更をし、プレイボーイからは檄を飛ばされてもついには80年代末に廃刊。
平凡も、週刊平凡も終わってしまったのですけれど・・・

2007年4月13日(金)
朝日新聞社刊の
「自分史を書くための戦後史年表」を買った。
内容は、それこそ年表なのであるが、自分史となると実際は数十年前のことは本当に覚えていない。マジメに日記をつけている方なら楽勝の自分史ということになるのだろうけれど、つけてこなかった罰というか何年は小学何年、中学何年ということはもちろんわかるのだけれど、細部は全くわからない。何年生でどこに遠足にいったということさえ忘れている。
遠足の行き先での組の写真はあるのだけれど、特長ある場所でないとその場所がわからない。単純に森を背景に、集合写真ようの台にのっているようなものは、本当にわからない。
このような体たらくなので、自分史を書くどころかせいぜい、年単位の一覧表程度しかかけないことがわかる。
この本の最初には記憶の呼び覚ましとあり、その過程を書いてくれているが、そんなもんでは実際は細部を思い出せるものではない。
何月何日にどうしていたのかというのが自分史の原点であるのに、覚えていないのがつらいです。
私の場合はまだ、古い週刊誌を買っているのである程度はその本からの知識を入れることが出来るが、そうでない方はお手上げではと思ったりする。
とにかく、脱脂粉乳一つをとってもいつからいつまで給食で出ていたのか。コーヒー牛乳もあったけれど、あの給食当番で寸胴をさげて給食室からクラスへ持ってきた時に、沈んでいた黒いものはコーヒーだったのかはたまたそうでなかったのかとか・・・。
覚えていないですね。そこで記憶は切れています。
ということで、やはり、日記はつけておくべきでした。

2007年6月17日(日)
ここのところずっと続いている、昭和40年50年代と1960年代から80年代にかけてを検証する本の出版ブームですが、なかなか、当時を再現というものは無いようです。
宝島社から、またも1970年大百科とかも、少し趣向を変えた感じで出ていますが、買ってみたらほとんど同じでした。
それなら、完全復刻雑誌とかがいいんですけれどね。少し前に漫画雑誌「少年」の復刻が出たりしていましたが、それより簡単に平凡パンチや週刊プレイボーイの復刻は出来るのではと思います。全巻なんて無理は言いませんが、毎年1月1日号を70年代にかぎり復刻とかですと、1冊2000円位なら買うかな?いや少し高い。10年分12000円位なら、購入致します。

2007年6月21日(木)
先日、ホットワックスプレゼントの「歌謡曲名曲名盤ガイド1960s」を買いましたが、この時代は小学校から高校までにあたるわけで、レコードを買うこと自体、高すぎてどうしようもない頃でした。
お年玉でしかまとまったレコードは買えない。LPなんてもってのほかの時代だったと思います。
今でこそ、中古で見かければ、500円してもぱっと買うわけですが、当時では300円330円・・・と300円以上したわけで、一ヶ月こ小遣いが500円位だったと思うと、ただただラジオやテレビに出てきた歌手の歌を聴くだけだったような。
ですから、ジャケットにはあまり思い出はないようです。
この1960年代で、レコード持っていたっていうのは、ほんの20枚程度だったかとおもいます。(10年間でです)
なぜもっと買わなかったのだろうと思うのですが、当然金銭的理由ということになります。

2007年7月11日(水)
このところ、古雑誌を買いすぎたかしてついにはケースがたらなくなってきた。ということで、平成9年(10年まえ)以降分の、雑誌はグラビアと目次を残して処分ということにした。
また20年ほど前の雑誌はグラビアと目次でいいとの考えに戻ったわけで、これから雑誌を20年置くと私ももう70も半ばを超えているわけで、実際いるかいないかもわからない年齢と言うことで、雑誌を完品でもっている意味もなくなっているかもしれないので、惜しげもなく、一応、きれいにおいていた雑誌を崩していくことにしました。もう100冊以上が、1/4の厚みになりました。1ケースで1年分くらいがはいるので、ファイルの圧縮ではないけれど、雑誌の圧縮をやっています。
少なくとも10ケースは圧縮しなくては、先は長いです。
ただ、平成9年以前のものは、完品であるものは、残しておこうと思っています。

2007年7月15日(日)
少し前に、買ってあったキャノンのスキャナDR2050をようやくインストールして、使い出しました。
記事をスキャンするには、めちゃくちゃ早くて、非常に便利なものだと実感しました。もう、データ化したものは、残しておかないで捨てることに決定。2000年以降の雑誌はデータを撮ってあっさり処分ということで、本を減らしていきます。
前に、老人ホームで暮らすご夫婦が、人生は、年老いてくると、身の回りの品をどんどん処分していくことですねと、言っていたが、そこまで自分は歳をとっているという実感はないけれど、やはり捨てるということは大事だなと思っているこのごろです。

2007年7月19日(木)
私の人生の中で、一番一緒に長く暮らした母が、亡くなった。一緒にいる間は空気のような存在だったけれど、一ヶ月近く入院しての急逝となると本当に、その空気が薄くなって、私は、息苦しくなってきているのがつらい。
誰もがみんな両親との別れは経験するわけだけれど、私の父の時は、私は母が父を一所懸命看病するのをみていたので、えらいなぁという気持ちだけだったし、母の嘆きようを見ていながらあまりはげまさなかったので今思うと非常に母に対して悔悟の念ばかりだけれど、今度私が、母を見送るとなるとやはり、相当に辛く悲しいものだった。
ああ、母も父を見送った時はこの私の気持ち以上に(そのときは、もちろん私以上につきあっていたひとであるから)辛かったのだなあと、考えると、涙がわき出てくる。
いまごろになって、父や母の歴史をほとんど聴いていなかったことに、腹立たしさを覚える。
合掌。

2007年7月21日(土)
私の思い出の空白期間は、生まれてから6、7年間であるが、母はその空白をある程度埋めてくれるように、持ち物を整理していたら、当時のものが、出てきた。
えぇ?母は、こういうふうなものを置いているとは一つもいってくれていなかったと、びっくしりた。もちろん涙、涙なのだけれど・・・。
私の、生後半年での種痘証明とか幼稚園頃のジフテリアの予防接種とかの記録が、初めてわかった。もちろん母子手帳も残してくれていた。懐かしいと言うよりも、私にとっては記憶に残っている以前のことなので、ほんとうにへぇー、このころにやったんだと思うことばかりである。
母は、ざっくばらんだったのだけれど、記録に関しては私よりも数倍数十倍きっちりと取っていたのだ。もちろん大正生まれの年金生活者だったけれど、自分の昭和年代の年金保険料支払いの領収書を保存していて、すべてそろっていた。すごいと思う。40年50年前の領収書を保存しているとは・・・。頭がさがる。
そんな母の息子がもう、記録、記憶に関して本当にちゃらんぽらんなのが、すまなく、申し訳なく思うこのごろだ。そして、私の歴史を残していてくれてありがとう・・・・。

2007年7月28日(土)
また私事で、申し訳ないのですが母が年老いてからはあまり記録をしていないようだが、若い頃30代40代の頃には精力的に、記録を残してくれている。日記と言うより、家計簿なのだがそれには、簡単に息子(私の名前だけれど)と主人映画「・・・・」へ ・・・円とある。その映画見に行ったことある。これもある、しかしこのときだったんだと・・・。どこそこへ寿司とかの記述もあるのですが、それもうろ覚えでいったことあるというのが、年月日の特定が出来ました。これは、私にとっては自分の歴史を思い出すということで本当に宝物です。
母が、この包みはおまえにとって必ず宝物になるからなと言っていたのが本当に、本当になって有り難く思います。なんどでも言いたいです、ありがとうと・・・。
しかし、残念なのは、母が年金生活に入ってからの記録というのはほとんど残していないことだ。引っ越しもしているので、もってくるのを忘れたのだろうか。私も、母にもうこれで全部かと言ったときに、これだけでいいと言ったので、私がみずから確認してやらなかったが、本当はまだまだ母は沢山持って引っ越しをしたかったのかもしれない。それは私が立ち会っていただけに本当に、もしそういう記録があったのだとすると、処分してしまって非常に残念なことだ。

2007年10月4日(木)
早いもので、母が亡くなってからもう3ヶ月になろうとしているのですが、悲しみというのは、いつも最上に新鮮なような気がします。親戚のかた友人のかたなどの慰めの言葉も沢山いただきましたが、なんとなく母を思い出すとあれをやってやればよかった、これをやってやればよかったと、一番長く過ごしたのに、さらに、やってやれなかったことばかりを考えては、ホロリ涙というのが私の心の弱さというか、悔いというか、もう絶対に帰ってこないものに対しての、おねだりがすぎるというか、本当に毎日が、悲しみに対しては新鮮だなぁと思います。泣き言ばかりで申し訳ないです。
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